旅行・地域

2024年9月 4日 (水)

ミズーリ州へドライブ旅行7ートルーマン・ホーム&その他ー

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 Nationai Frontier Trails Museumから徒歩で歩いて行ける所に第33代大統領ハリー・S・トルーマンが住んでいた住宅があったので、Nationai Frontier Trails Museumを観た後に歩いて見に行きました。

 ハリー・S・トルーマンは1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルトの死去に伴って副大統領から大統領に昇格した。
 ミズーリ―州の別の町の出身で、6歳の頃にインデペンデンスに両親とともに引っ越してきたそうです。

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 トルーマン・ホームはトルーマンの奥さんベスの実家で、1919年に結婚してからミズーリ―の家として亡くなるまで使われていたそうです。

 内部のツアーもあったのですが、私たちが訪れた時には開館時間が終わっていて門が閉まっていました。
 開館時間は水曜日~日曜日の午前9時~午後5時で、ツアーのチケットは別の場所にあるビジターセンターで販売されているそうです。

 トルーマン・ホームの外観を撮影した後は、ウォルマート(大型スーパー)へ寄ってご当地Tシャツを買って帰路につくことにしました。

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 帰路は往路と別のルートで帰ったのですが、往路と比べるとより田舎を通っているハイウエイだったので、ミズーリ―州内ではガソリンスタンドのあるような町が周辺になく、「ガス欠したらどうしよう…?」と、(怪獣の運転&私が助手席の組み合わせで)冷や冷やしながら走りました。
 かなり南のルートだったようで、ミシシッピ川を越えてイリノイ州に入る直前に別の州を2分くらい走りました。
別の州に入った瞬間スマホで案内板を撮影したのですが、深夜だったためぶれていてどの州だったか分からず仕舞いでした。

 私の運転に変わってイリノイ州で3時間くらい仮眠した後、インディアナ州で給油して運転をに代わって自宅へ向かいました。

 アメリカの北部の高緯度地域の州は、冬は地面が凍結するため夏の間に大規模な道路の修理&工事をします。
 今回のドライブ旅行でもハイウエイのあちらこちらが工事をしていて、車線が減少していました。
 我が家は主に夜間のドライブだったので、渋滞に巻き込まれる事はなかったのですが、昼間で市街地に近い所は渋滞していたかもしれないです。

 今回はカンサスシティとインデペンデンスの2つの市を訪問しましたが、1泊4日の駆け足でのドライブ旅行だったので、行きたかった観光地の全てを観光することは出来ませんでした。

 ミズーリ―州はルート66も通っていたので、次回(があれば)是非ルート66関連の観光地も訪れたいし、ミズーリー風BBQも食べてみたいです。

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2024年9月 2日 (月)

ミズーリ州へドライブ旅行6ーNationai Frontier Trails Museumー

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 Chicago & Alton Depo Museumで、インデペンデンス市内の観光マップを貰ったので、今度はそれを頼りにNational Frontier Trails Museumへ向かいました。

 ミュージアムのあるミズーリ―州インデペンデンスは、開拓者が西部へと向かう『サンタフェ・トレイル』『カリフォルニア・トレイル』『オレゴン・トレイル』の3つのトレイルのスタート地点や分岐点になっていて、Jumping-off townと呼ばれていたそうです。
 Nationai Frontier Trails Museumは上記の3つのトレイルと『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』『モルモン・パイオニア・トレイル』の2つのトレイルを加えた5つのトレイルについて展示されています。

ルイス・アンド・クラーク・トレイル 

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(↑ルイス・アンド・クラーク・トレイルの展示)

 5つのトレイルの中で最も古いのは『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』です。
 1803年にルイジアナ・パーチェスでフランスから210万平方キロメートルの広大な土地をアメリカ合衆国が買い取った事で、西海岸への開拓に関心が集まり、当時の大統領トーマス・ジェファーソンの命で、1804年~1805年に西部への探検隊(ルイス・アンド・クラーク探検隊)が送られました。
 その探検の時に通ったルートが『ルイス・クラーク・トレイル』です。
 以前の記事に、ルイス&クラークの探検を記念した5セント硬貨について書いたことがありますが、この探検には途中からネイティブアメリカン(アメリカンインディアン)の女性サカジャウィアが同行し、彼女は映画『ナイトミュージアム』シリーズ1~3にもサブキャラクターで出てくるくらい有名な女性です。

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(↑ミズーリ―州道210線、ルイス・アンド・クラークトレイルの一部で、道路標示にもその旨が表示されている)

サンタフェ・トレイル

 サンタフェ・トレイルはミズーリ―州からカンサス州、コロラド州を経てニューメキシコ州に至るトレイル。
起点はフランクリン(ミズーリ―州)終点はサンタフェ(ニューメキシコ州)

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カルフォルニア・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、(コロラド州、)ワイオミング州、ユタ州、アイダホ州、ネバダ州、を経てカリフォルニア州に至るルート。
 主要なルートの周りに派生した数多くのルートがある、アイダホ州でオレゴントレイルと分岐する。モルモン・パイオニア・トレイルともルートが重なる部分がある。

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オレゴン・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州、を経てオレゴン州に至るルート。

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(↑牛に荷車を牽かせるための頸木)

モルモン・パイオニア・トレイル

 イリノイ州ノーブーから、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州を経てユタ州ソルトレイクシティまでのルート。
 オレゴントレイルとネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州とルートの一部を共有している。
 また、ミズーリ―州インデペンデンスからオレゴン・トレイルを通ってユタ州まで至るルートもある。

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(↑左:当時の荷車と現代のワゴン車の比較
右:当時、一般的に『荷車に積まれていた物』のリスト、
画像クリックで拡大画像へ)

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(↑ 一つ上の『荷車に積まれていた物リスト』にしたがって、棚のなかから荷物を水色の荷車に積み込むゲーム)

 展示を観ていて思った事は、アメリカの西部開拓の基本的な歴史を知っていたらもっと面白いだろうなぁ…と、言う事でした。
(アメリカでは小学校からアメリカ史を習うので、子どもでも楽しめるミュージアムだと思いました。)

 ミュージアムは初めに15分くらいのビデオを観た後に、展示をみる順番になっていますが、展示の部屋は自由に行き来できるようになっていました。

 開館時間は、月曜日~土曜日まで午前10時~午後6時、日曜日は閉館。(2024年8月現在)

 ミュージアムの入場料は無料ですが、任意で寄付することができます。(2024年8月現在)
無料だけあってWWⅠミュージアムと比べると展示の規模も小さくて内容も充実していなかったです。

 建物内にはミュージアムショップもあって、お土産を買う事も出来ました。

 移転する前の情報を載せているウエブサイトでは、入場料金もあったし、ミュージアムのツアーも幌馬車体験などの季節の催しもあったので、移転してから展示の規模が随分縮小してしまったのかもしれません。
 新しい情報のウェブサイトにはTemporaly site(臨時の建物)と書かれているので、またどこかに移転するのかも知れません。
入場料を払ってもいいので、以前以上の展示に戻して欲しいなぁ…と、思いました。

 

 

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2024年8月31日 (土)

ミズーリ州へドライブ旅行5ーChicago&Alton Depo Musium-

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 スマホの地図アプリにNationai Frontier Trails Museumをセットして向かったのだけれど、目的地に到着しても駐車場がガラガラで、建物が開いている気配もないし看板もない。

 地図アプリで再検索しても同じ場所しか表示されずに、建物の周りを怪獣とウロウロしていたら、同じ敷地内にある古い駅をリノベーションした建物から年配の男性が出てきたので、Nationai Frontier Trails Museumを探してると伝えたら、引っ越したことを告げられました。

 引っ越し先への行き方を教えてくれたのですが、「もしよかったら駅も観て行かない?案内するよ。」と、誘われました。
 料金をきいたら、「寄付だからいくらでもいいよ。私の案内が気に入らなかったらゼロでもOKだよ。」と、言う事だったので、も呼んで建物を案内してもらう事にしました。

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(↑Chicago & Alton Railroad の路線図と沿線にあった駅の写真)

 案内してもらった駅舎はChicago & Alton 路線のIndepenndence駅舎だった建物だそうで、元々は3㎞離れた所にあったそうですが、現在の位置に移設して来たと言う事です。
 移設された当時は建物はボロボロで屋根は一部落ちて柱と壁の一部が残った状態のものを、現在の状態に復元工事をしたそうです。
 復元工事は外装に2年、内装に5年かかったそうです。

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(↑駅の待合室
ベンチについているひじ掛け状の金属は、ベンチでの寝そべり防止のためだそうです)

 この駅は1階が駅、2階が駅の管理者と家族の住居になっていたそうで、管理者は駅の管理と通信士の二足の草鞋で生計を立てていたそうです。

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(↑チケット売り場。手前の鐘は蒸気機関車についていたものを取り外して展示したもの)

 Chicago&Alton lailroadの駅舎の建物の内部は古い信号機などの鉄道関連の道具やトランクや、古い列車のプラモデルなどが展示されていて、ガイドツアーではこの路線を使用した有名人などの話もきけて興味深かったです。

 有名人の話の中で最も印象に残ったのは、リンカーン大統領の特別客車の話でした。
 リンカーン大統領は青年時時代から大統領になるまでイリノイ州で過ごしていて、Chicago & Alton Lailroadとも所縁が深かったので、リンカーン大統領専用の特別客車を制作していましたが、使われる前に大統領が暗殺されてしまい、大統領の死後リンカーンの棺を載せてイリノイ州のスプリングフィールドへ運ぶための霊柩車として使われたそうです。

 最後に訪問者のリストに名前を書いて、怪獣が持っていたありったけの現金(多分8ドルくらい?私たちはカードしか持ってなかった)を寄付の入れ物に入れてツアーは終了。

 その後、Nationai Frontier Trails Museumの行き方や、市内の他の観光スポットの地図を渡してくれて軽い説明もしてもらえて、とても親切なガイドさんでした。

 

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2024年8月29日 (木)

ミズーリ州へドライブ旅行4-マネーミュージアムー

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 マネー・ミュージアムはFederal Reserve Bank of Kansas City(カンサスシティ連邦準備銀行)の一角にあるお金に関する小さなミュージアムで、WWⅠミュージアムから徒歩5分くらいの場所にあります。

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(↑入口を入った所にある看板)

 入場料は無料ですが、入り口に警官が常駐していて、運転免許証の裏の2次元コードをスキャナーで読み取って、空港の保安検査のような身体検査と手荷物をX線で検査してやっと入場できました。

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 館内に入場すると、ハリー・S・トルーマンのコインのコレクションから展示がスタートします。
 ここの展示も特に順番は決められていないので、展示の間を行ったり来たりして見て回る事が出来ます。

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(↑偽札と本物を見分け方のコーナー)

 お金や経済に関する展示や図やグラフなどが展示されていて、面白いと思ったのは偽札の見分け方のコーナーでした。

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(↑左:偽物で透かしがない。
右:本物で点線で囲った部分に人の顔の透かしが入っている)

 偽造防止のために色々仕掛けがされていて興味深かったです。

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(↑金塊を持ち上げる体験の出来るコーナー)

 金塊を持ち上げる体験の出来るコーナーもあって、金属の持ち手の付いている透明なプラスチックの箱に入った金塊を、ショーケースに空いた穴から腕を入れて持ち上げられるようになっていました。

 怪獣が挑戦してみたけれどびくとも動かず、
傍で観ていたが、「この金塊の入った箱、接着剤でとめられてるんじゃない?」と、言っていましたが、持ち上げる事は出来なくても、前後左右に揺するとカタカタと音がして動くので、接着剤でとめられているのではない事は分かりました。

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(↑左:持ち上げる前、右:2cmくらい持ち上がったところ)

 が挑戦すると、2cmくらい持ち上げることが出来ました。

 金塊にはOZS389.27と書いてあって、多分11キロくらいなのかなぁ…
 金は相場が変動するのですが、展示されている金塊は高値だと80万ドル(1億2千万円くらい?)相当の価値らしいです。

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 展示場の一角からは、ガラス越しにお札を保管しておく倉庫とお札をまとめてプラスチックのコンテナに積める作業をしている部屋を観ることが出来るのですが、写真撮影は禁止されていました。

(↑水色の矢印の先の廊下の突き当りがお札の保管庫)

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(↑展示の一つのゲーム画面で表示されたお札の保管庫の絵、雰囲気は似ているけれど実物とは少し違う。)

 お札の保管庫は↑の絵のような天井まで届く棚が何列もあって、お札の入ったコンテナをロボットのフォークリフトが積み上げ作業をしていました。(積み上げ作業をしているロボットフォークリフトは数台あって、それぞれにニックネームがついているようでした。)
 お札を束ねてコンテナに入れる作業は人間が二人組でやっていました。

 コンテナに入って、フォークリフトで持ち上げられているお札は、あまりに量が多すぎて、ただの紙にしか見えなくて、だんだん古紙回収の倉庫の様に見えてきました。

 マネーミュージアムを一通り見学して、今回の旅行の目的のNational Frontier Trails Musiumへ向かいました。

 

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2024年8月27日 (火)

ミズーリ州へドライブ旅行3ーWWⅠミュージアムー

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 カンサスシティー(市の名前はカンサスシティーなのだけれど、ミズーリ―州とカンザス州の境のミズーリ―州側にあります。市の名前と州の名前が一致していなくてややこしいです)で宿泊した翌16日、折角だから市内の観光施設を観てからNationai Frontier Trails Museumに行く事にしました。
 ホテル近くの観光施設で評判が良かったのがナショナル・WWⅠ・ミュージアムだったので行ってみることにしました。

(↑WWⅠミュージアムの建物)

 WWⅠミュージアムは第一次世界大戦を記念して作られて1926年にオープンした施設で、カンサスシティのダウンタウンの近くにあって、周囲は記念公園のようになっていました。

 開館時間は夏季は午前10時から午後5時
 入場料は大人:19.50ドル、シニア(65歳以上):15.50ドル、軍人と扶養家族:15.50ドル、子ども6~15歳:11.50ドル、5歳以下:無料(2024年8月現在)でした。

 入場チケットを買う時に、「入場チケットに3ドルプラスでタワーに登れますがどうですか?」ときかれたので、タワーに登る料金も合わせて払いました。
 タワー料金つきのチケットを買うと、「朝の涼しいうちに先にタワーに登ってから、後で展示を見た方がいいですよ(午後は物凄く暑くなりますから)」と、教えてくれました。

タワー:

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(↑アッパーレベルから見たタワー)

 チケットの係のアドバイスに従ってタワーに登るためにアッパーレベルにエレベーターでのぼりました。

 アッパーレベルは屋上広場になっていて、入館チケットだけで出入りできますが、タワーの入り口では係の人がチケットをチェックしていて、ある一定の人数が集まるとタワーに登るエレベーターを動かすようす。
(私たちが登った時は7人でエレベーターに乗りました)

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(↑左:エレベーター、右:エレベーターを降りてタワーの展望スペースにつながる螺旋階段)

 タワーの中にあるエレベーターは1基で、大人が10人くらい乗れる大きさの小さなエレベーターでした。
 エレベーターの内扉は格子の蛇腹式で、中でエレベーターのオペレーターが開け閉めしてくれていました。

 エレベーターを降りると灯台の内部のような螺旋階段が続いていて、それを登りきるとタワーの展望スペースに出ることができ、カンサスシティを一望できました。

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(↑タワーの展望スペースからの眺め)

 古い建物なので、展望スペースも人がやっとすれ違う事の出来る広さの通路しかなかったです。

 

展示フロア:

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 タワーを観た後は展示フロアに降りて展示を回りました。

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(↑塹壕の再現展示
左:フランス軍の塹壕、中:イギリス軍の塹壕、右:ドイツ軍の塹壕)

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(↑左:バイプレーン飛行機、右:タンク)

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(↑左:ハーレーダビッドソンのバイク、右:医療用車両)

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(↑左:携帯電話?、右:医療器具)

 展示は充実していて、展示の最初に導入の映画があって、展示を観て、最後にエンディングの映画を観る流れになっていましたが、どの順番で観ても自由でした。順番通りに見た方が分かりやすい展示になってはいました。

 

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2024年8月25日 (日)

ミズーリ州へドライブ旅行2

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 ワイパーの修理後、イリノイ州からミズーリ―州に入って運転をから怪獣に交代して目的地に向かって進みました。

 今回の旅行の目的はミズーリ―州のインデペンデンスというカンサスシティの郊外にある市のNational Frontier Trails Museum(ナショナル・フロンティア・トレイルズ・ミュージアム)を訪れる事でした。

 ワイパーブレードぶっ飛び事件の為に目的地への到着が大幅に遅れる見込みだったので、先に当日(15日)に宿泊するホテルを抑えて置こうと言う事になって、怪獣が運転している間にが旅行サイトを通してスマホで予約を入れていました。

 ところが!

 宿泊の日付を間違って15日ではなく4日後の19日に予約して支払いも済ませてしまった。

 ( ̄Д ̄;) ガーン

 慌てて旅行サイトにチャットで問い合わせて予約日の変更が出来ないかときいたら、予約を入れたホテルに確認してくれたのだけれど、ホテルは予約日の変更するには宿泊代と同額の手数料と更にプラス5ドルかかると言う事だった。

 (*`Д´)ナンデストォ!

 つまりは「2倍の値段+5ドル払えば変更してやってもいい」と言う事らしい。
ナント業突く張りな…

 あまりにも酷いのでキャンセルしようと思ったら、キャンセル料が室料と同額かかると言う。

(Д`)ハァ~? 

 当日キャンセルなら仕方がないけれど、4日も前のキャンセルなのに室料と同額のキャンセル料って…悪徳すぎる。
キャンセルしてもすっぽかしても同額なら、悪徳ホテルが更に別の客を泊めて儲けられないように、予約のキャンセルはしない事にしました。

 その日の宿泊先が決まらないまま、午後2時頃にインデペンデンス市に到着してしまいました。
 滞在場所が決まらないのは不安なので、観光よりもホテルの予約を先にする事にして、ホテルの予約が決まって後で遅い昼食を食べたら、目的のミュージアムの閉館時間の間際になってしまったので、その日の観光を諦めてホテルにチェックインすることにしました。

 ホテルにチェックインして、部屋に入ってみると…ダブルベッド2つの部屋を予約したのに、ダブルベッドが一つしかない

( ゜o゜!)エェッ

 フロントに「予約した部屋と違う」と部屋の交換の交渉に行ったら、このホテルにはダブルベッド2つの部屋はないので交換出来ないと言う。
 (最初の悪徳ホテルを予約した旅行サイトとは別のサイトを使ったにもかかわらず)どうやら旅行サイトのシステムに不備があったらしく、ダブルベッド2つの部屋がある設定になっていたらしい。

 料金もダブルベッド2つの部屋の料金を払ったと伝えたら納得してくれて、部屋を提供できないので宿泊代金は全額返金してくれることになりました。

 そして、またもや宿泊先探しは降り出しに…

 (T△T)エーン

 それぞれ別の会社だったけれど、旅行サイトを使ってのホテル予約で2度もトラブルが起こって懲りたので、今度は旅行サイトは使わずにホテルチェーンのサイトから宿泊先を探す事にしました。

 は出張の時によく使うホテルチェーンの会員になっているので、その会員番号で予約を取りました。
 場所がカンサスシティのダウンタウンで治安が少し心配なこと、駐車料金が別途で20ドルかかってしまうことは気になりましたが、車中泊よりはマシだろうと言う事で、ホテルに向かいました。

 着いてみたら2番めのホテルよりはずっと周りの治安は良さそうで、駐車場と敷地はフェンスに囲まれていて外部からの出入りもなく、安心して泊まれそうでホッとしました。

 三度目の正直で助かった~

 ホテルに着いたのは午後8時過ぎていて、近くのレストランは閉店しているか閉店間際だったので、ガソリンスタンド内のコンビニにあるファストフード店でサブマリンサンドウィッチを買ってホテルの部屋で食べて、シャワーを浴びて日付が変わる頃にやっと眠る事が出来ました。

 早朝のワイパーブレードぶっ飛び事件に始まって8月15日はトラブル多発の散々な1日でした。 

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2024年8月23日 (金)

ミズーリ州へドライブ旅行1

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 ブログの引っ越しに一段落つくまではお休みの予定だったのですが、8月14日から17日までドライブ旅行に行ったので、忘れないうちに記事に書いておくことにしました。
 旅行の記事だけで7記事になったので、1日おきにUPすることにしました。

 8月14日から5日間が夏休みを取ったので、どこか旅行へ行こうと言う事になりました。

 行先の候補は、ワシントンD.C、ニューヨーク州、ミズーリ―州、のどれかにしようと前日まで迷っていたのですが、ミズーリ―州にはまだ家族の誰も行った事がなかったので、ミズーリ―州に決まりました。

 我が家からミズーリ―州までは約750マイル(約1200㎞)で、スマホのマップの機能によると約12時間のドライブらしい。
 1日で12時間のドライブはきついので、往きに途中で1泊、現地で1泊、復路で1泊で3泊4日で出かけようか~と提案したら、が14日に注文していたスマホが配達されるから、受け取るまでは出発できないと言う。

 は14日の午後に出発して、3人で交代で運転して夜通し車を運転して翌日の朝にミズーリ―州に着けば良くない?と、主張するのでそのプランで行く事に…

 2017年に、フロリダのオーランドへ約1200マイル(約1900㎞)の途中泊なしのドライブをしたことがあるので、不可能ではない事は分かっているのだけれど、7年も前の事で当時と比べると体力も落ちているだろうから出来たらぶっ通しのドライブは避けたかったのだけれど、がどうしてもと言い張るのでぶっ通し強行軍ドライブ旅行することになりました。

 注文していたスマホは14日の午前中に届いたのだけれど、スマホの設定やら旅行の準備などで時間を取られて出発したのは午後6時を回った頃でした。

 我が家は長距離ドライブの時は後部座席の人だけが眠る事が出来て、助手席に座る人は起きていなければならない事になっています。

 「メガネが合わないので暗くなると運転できない」と、が言うので、最初のドライバーは→次に怪獣→その次に私という順番で運転交代する事が決まりました。

 夫、怪獣と運転を引継ぎ、東部時間で日付が変わった頃に私が運転を変わり(私が運転している間にインディアナ州からイリノイ州に入ってタイムラインを越えたので)3時間くらい経った中部時間の午前2時頃、助手席の怪獣も居眠りを始め、私も眠気が襲って来て物が2重に見えるようになったので、レストエリアにパーキングして仮眠を取る事にしました。

 2時間仮眠の後、私の運転で走っていたら雨が降って来ました。
 出発前の準備でフロントガラスに撥水剤を塗ってあったので、軽い雨ならワイパー無しでも運転で来たのですが、だんだん雨が激しくなって来たのでワイパーを使い始めて暫くしたら…

 バンという音と共に、左側(運転席側)のワイパーが飛んで行ってしまった。

ヽ((◎д◎ ))ゝアァレ~ェ~ェ~ 

 ワイパーを止めて、助手席で居眠りしている怪獣をたたき起こして、ワイパーが飛んでしまって緊急事態だと言う事を説明して、最寄りのガソリンスタンドを探す事を指示、ついでにも起こすように言って状況を説明させた。

 幸い雨が弱くなって来たので、ワイパー無しでも最寄りのガソリンスタンドまで運転できました。

 最寄りのガソリンスタンドは、スーパーの経営するガソリンスタンドで同じ敷地内にスーパーもあったので、ワイパーブレードも買う事にしました。

 失くした側のワイパーブレードだけでなく、左右両方を買って取り付けて動作確認も済ませ、ついでに給油しての運転でドライブ再開。

 暫く走るとまた雨が降って来たので、ワイパーを使ったら…

 取り換えた新しい左側のワイパーブレードがまた飛んで行ってしまった

ヽ((◎д◎ ))ゝヽ((◎д◎ ))ゝアレ~ェ~ 

 取り換えたばかりのワイパーブレードだったため、諦められなくてハイウェイの反対車線に入って引きかえしてUターンし、飛んで行ったワイパーを探しました。
 1回目に引き返した時には見つけられず、2巡目で落ちているブレードを発見。

 運のよい事に、落とした場所が道路工事予定の場所で車線封鎖の為に三角コーンが置かれていたので、封鎖されていた車線に入ってハザード点けて停車して、怪獣が徒歩で拾いに行きました。

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(↑毛糸で応急処置したワイパーブレード) 

 最寄りのガソリンスタンドに寄って、外れたワイパーブレードを取り付け直そうとしましたが、ブレードには固定の為のプラスティックの爪のようなものがなくて固定できなかったので、助手席側についていた古いワイパーブレードを(私が編み物をするために持ってきていた)毛糸で応急処置をして動作確認後、目的地へ向かって再出発しました。

 

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2024年7月16日 (火)

サンタモニカ埠頭

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 がL.A.(ロサンゼルス)に出張に行った時、週末は仕事がなかったので、サンタモニカの埠頭へ観光に行った時の写真を送ってくれました。

(↑『サンタモニカ埠頭』と書かれた広告の看板)

 が訪れたのは土曜日で、ちょうどイベントもあって、結構な人出だったようです。

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 サンタモニカはRoute 66(国道66号線)の終点で、街中にも沢山Route 66の標識を模した看板や、Route 66にちなんだ名前の店などが沢山あったそうです。

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 Route 66は、アメリカのイリノイ州シカゴを起点にカリフォルニア州サンタモニカを終点に結ぶ旧国道で、イリノイ、ミズーリ、カンサス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナを通ってカリフォルニアを通る全長3940㎞、1926年11月に設置(開通?)され翌年にRoute 66の標識が掲げられるようになったそうです。
 Route 66沿いにモーテルやファストフードやドライブインなどが作られ発展していき、Route 66関連のポップカルチャーや音楽、映画などの題材になったりしていて、アメリカで最も有名な国道として知られています。

 1950年代後半に始まった州間高速道路(インターステート)の建設と共に、衰退していき1985年に廃止されました。

 廃止後1990年代から、歴史的道路として各地で旧道を復活させる活動が起こって、州立公園や史跡として部分的に復元されています。

 いつかRoute 66をバイクでシカゴからサンタモニカまで走破の旅行をするのがと私の夢です。

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(↑マッスル・ビーチ)

 マッスル・ビーチはフィットネス発祥の地で、1934年にサンタモニカ埠頭の南側のジムで始まったと言われているそうです。

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(↑サンタモニカ埠頭のランドマークのアーチ)

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(↑サンタモニカ埠頭にある、アミューズメント・パーク)

 サンタモニカ埠頭は映画『フォレスト・ガンプ』などの多くの映画のロケ地で、によると、埠頭にはフォレスト・ガンプの『ババ・ガンプ・シュリンプ』レストランもあったそうです。
 映画だけでなく、多くのテレビドラマシリーズなどのロケ地でもあったようです。

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2024年6月 8日 (土)

Meadow Brook Hall 6

前回の記事からの続きです。

今回でMeadow Brook Hallの記事は最後になると思います。

使用人エリア:

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(↑使用人エリアの廊下)

 ウィルソン家族が住んでいた当時と違って、使用人エリアとの間の全てのドアは開けっ放しになっていたのですが、今回のツアーでは使用人エリアは移動のために階段を使ったり、一部の部屋を見学しただけでした。

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(↑医療品の部屋:薬やガーゼや包帯、体重計や医療の道具などを保存しておく部屋。
救急箱の物置部屋バージョン。)

 Meadow Brook Hallでウィルソン家族が暮らしていた当時は田舎で、年に何回か医師が訪れて家族の健康診断を受けていたそうです。
 また、病気などになった時も医師に往診してもらっていて、健康診断や往診に必要な医薬品や器具を医師が持ってこれなかった場合に備えてストックしておく物置のような部屋がありました。

 診療に訪れた医師も遠距離を移動してくるので、診察が終わった後滞在出来るように使用人エリアにいくつかゲストルームがあるそうです。

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(↑↓使用人エリアのゲストルーム)

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 ↑の画像の使用人エリアのゲストルームは養子のリチャードが大きくなってナーサリー(育児室)が必要なくなった時に、リチャードの寝室として使われていたそうです。

 ロフトや自分専用のゲストルームのあるマチルダの実子たちのプライベートスペースと比べて、養子の部屋はシンプルで格差だなぁ…と、思いました。

ツアーについて:

 前回2015年にツアーに参加した時とツアーの内容やツアーの種類、料金などが随分変わっていました。
 以前はミュージアム・ストアでツアーチケットを販売していましたが、今はオンラインでの予約&支払いになっています。

 詳しい情報は↓のURL(英語)を参考にしてください。

https://meadowbrookhall.org/tours/ 

 

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2024年6月 5日 (水)

Meadow Brook Hall 5

前回の記事からの続きです。

2階

 階段を上がって左手の廊下にはゲストルームやナニーの部屋と子ども部屋、マチルダの寝室、アルフレッドの寝室などがあります。

フレンチ・ゲストルーム:

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(↑↓フレンチ・ゲストルーム)

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 階段ホールから左手の廊下の入ってすぐ右側(裏庭側)に、フレンチゲストルームがあります。
以前の記事にチューダー・リバイバル様式の建物と紹介したのですが、フレンチルームはロココ風の内装になっていました。

ナニー(乳母)の部屋とナーサリー(子ども部屋):

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(↑左:ナニーの部屋、右:ナニーの部屋の呼び出し用の電話)

 フレンチゲストルームの向かい(ロータリー側)にはナニーの部屋とナーサリーがあります。

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(↑ナーサリー)

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(↑ナーサリー・キッチン)

 マチルダと再婚相手のアルフレッドには実子はいなかったのですが、リチャード(1929年生まれ)とバーバラ(1931年生まれ)の2人の養子をとっていて、ナーサリーは2人の養子のための部屋です。

 Meadow Brook Hallの建物は使用人スペースと家族のスペースが完全に分けられていて、使用人は使用人スペースで寝起きするのですが、ナニーだけは子どもの世話をするため、部屋が家族のスペースにあてがわれていました。

 ナニーの部屋は、バーバラにナニーが必要でなくなった後は、バーバラの部屋として使われました。

イタリアン・ゲストルーム:

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 ナーサリーキッチンの隣はイタリアンゲストルーム。
イタリアン・ゲストルームは天井に梁(多分化粧梁)を設けたイタリアっぽい内装になっていました。

アルフレッドの寝室:

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 フレンチ・ゲストルームの隣がアルフレッドの寝室で、

 寝室は隣のマチルダの寝室と繋がっていて行き来ができるようになっています。
 当時の裕福な家庭は夫婦がそれぞれ持つことが一般的だったため、夫婦別室になっているようです。
 アルフレッドの寝室のバスルームはシャワーがあって、シャワーヘッドは14金で出来ているそうです。

マチルダの寝室:

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(↑マチルダの寝室)

 アールデコ調のインテリア。

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(↑マチルダのバスルーム)

 マチルダのバスルームにはシャワーはなくてお風呂のみだそうです。

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(↑左:マチルダのクローゼット、右:マチルダの靴や小物を収納しておくクローゼット)

 プライベートエリアの内装の殆どが建築当時の流行りだったアールデコ調でした。

 マチルダは毎朝6時起床で乗馬をしてから身支度を終えて仕事をしたそうです。
 マチルダの仕事はダッジモータース売却後は市民活動や社会活動や慈善活動で40以上の団体をサポートしていました。
 家事は全て使用人が担っていて、家の中の家事を行うために25人くらいの使用人が働いていたそうです。
 屋外の家事は35人くらいの使用人が従事していました。

 使用人のエリアと家族のエリアの間にはドアがあって、普段は閉まっていて仕事以外では使用人は家族のエリアには入れない決まりになっていました。

 次回は使用人エリアの画像をUP予定です。

 

 

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