日記・コラム・つぶやき

2024年10月 5日 (土)

Bloggerの問題解決か?

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 9月30日から1日1記事しか新規作成できなくなっていたBloggerのブログだけれど、2日待っても複数記事の新規作成が出来ないままだったのでフィードバックに不具合の症状を送信したら、フィードバックを送信した翌日にある条件の下で複数記事新規作成できるようになりました。

 まだ、完全に復旧したかどうかを確かめてはいないけれど、取り敢えず複数記事の新規作成が出来るようになったので、ホッとしました。

 1日1記事のお引越ししかできないと、ココログを全く更新せずに頑張っても、引っ越しに丸2年はかかってしまう計算だったので、他の引っ越し先を検討しようと真剣に思い始めていました。

 もう暫く様子をみてBloggerで複数記事作成できることが確認できたら、ココログも定期更新に戻し、Bloggerの過去記事もUPを再開したいと思います。

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2024年10月 2日 (水)

Bloggerで問題発生

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 先月はブログの引っ越しが忙しくて暫く不定期更新にしていましたが、以前のペース(3日毎)に戻せそうと思ったのも束の間、Bloggerの投稿の方で問題が発生してしまいました。

 9月30日にAPIのバージョン2.0がサービス終了になってしまったのですが、それが原因なのか1日1記事しか新規の記事の作成ができなくなってしまいました。

 暫く様子をみても新規投稿できないようなら、別のブログサービスに再度お引越しするかもしれません。
やっと半分の記事を引っ越し出来たのに…

 1年2カ月間のお引越し作業が…

 ・゚・(ノД`;)・゚・ウエーン

 と、言う事で、暫く不定期更新は続くこととなりました。

 Bloggerの方も過去記事の投稿を一時お休みします。

 m(。≧д≦。)mごめんなさい~

 

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2024年9月29日 (日)

久々のカレッジ・キャンパス

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 今年の5月にカレッジの卒業式に参加した怪獣
 卒業式前の4月24日は怪獣のカレッジの卒業式のチケット(入場券)とローブを買いに行きました。
 チケットは生徒一人につき4枚無料、ローブとキャップとタッセルはセットで65ドルでした。

 ローブを買いに行ったカレッジのキャンパスは私も2020年まで通っていたキャンパスで、久しぶりに行ったらブックストア(教科書などを販売している校内の店)周辺が大幅に改装されていました。

(↑Cビルディングの通路。現在も残っている古い通路の部分)

 キャンパスの建物は5つの建物が連絡通路などで繋がっていたのですが、駐車場からアドミニストレーションビルディングを経由してカフェテリアやブックストアのある建物に繋がる連絡通路が新たに作られていて、すごくオシャレになっていました。

 以前は別の建物cビルディング(仮名)の廊下を経由していたのですが、迷路のように込み入っていました。
 それが新しい連絡通路のお陰でアドミニストレーションビルディングからカフェテリアまで一直線に行く事ができて迷う事もなくなりました。
 連絡通路は何カ所かCビルディングにも短い通路で繋がっていて行き来できるようになっていて、かなり便利になっていました。

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(↑新しい連絡通路)

 連絡通路は片面がガラス張りで明るく、通路の両側は小さなカンファレンスルームやスタディールームやソファーやテーブルのある勉強やランチを食べられる休憩スペースが並んで設けられていました。

 あまり綺麗になっていたので、ボーッと見ているだけで帰ってきてしまっていて、写真を撮ってくればブログのネタになったのに…と、残念に思っていたのですが、8月下旬に秋セメスターの授業料を払いにキャンパスに行った時に撮影したのでブログにUPする事にしました。

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(↑連絡通路沿いの休憩スペース)

 怪獣は5月に卒業式に参加したのですが、2つの学位のうちの一つは卒業単位に16単位足りなくて、夏のセメスターと秋のセメスターで足りなかった単位を履修して卒業証書が貰える予定になっています。
 卒業式には既に参加してしまっているので、来年の卒業式に参加することはないです。

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(↑カンファレンスルーム)

 

 

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2024年9月26日 (木)

スミちゃん(猫)の神隠し

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(↑スミちゃん)

 9月18日に我が家にやって来たシマとスミの水墨画シスターズ。
当日はほぼケージの中で過ごしていたのですが、翌日から少しずつ慣れて来てケージの外の家の中を探検するようになりました。

 我が家は1階がキッチン、ダイニング、ファミリールーム(リビング)、ライブラリー、ホワイエ(玄関)の部屋があって部屋と部屋の境に壁はあるのですが開口部(出入口)にドアがなくて全部屋が繋がっています。

 1階の屋内のドアは3か所あって、一つはトイレ、一つは地下室、もう一つはランドリールームに繋がるドアです。
猫をケージの外に出す時に3つ全部のドアを開けておくと、探すのが大変&屋外へ脱出してしまうと危険なので、屋内のドアは2階のドアも含めて全部閉めてから猫を出すようにしています。 

 9月22日の夜、ケージから出して3時間くらい部屋に放していました。
人間が寝るので、そろそろケージに戻そうとキャットフードをケージ中へ置いたら、シマちゃんは食べに戻って来たけれどスミちゃんが戻って来ない。
 とりあえずシマちゃんとキャットフードをケージに入れてケージのドアを閉めて、キャットフードのボウルを片手にスミちゃんを探したのですが全く見つからない。

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(↑窓の外を眺める水墨画シスターズ)

 我が家にはドアをぴちっと閉めておくことの出来ない人間が約1名()いて、彼が出入りした部屋のドアは閉めたつもりがいつも5~10cmくらい開いているか、そもそもドアを閉めずに全開と言う事も…
 以外の家族はが開けっ放しにしたドアを閉めるのが習慣になっていました。

 スミちゃんがいなくなったと気づいた私と怪獣は、家中の部屋を一つ一つ調べてソファーの下や家具の裏や隙間を調べたけれど、どこにもいない。
 地下室やガレージまで調べたけれど見つからなかった。
亡くなったマダラ猫が神隠しにあった時に隠れていた家具調レコードプレイヤーの下も調べたのだけれど、見つからなかった。

 名前を『スミ』に変えて間もない(まだ自分の名前を覚えてない)ので、「スミちゃん~」と、呼んだって姿を現すどころか返事(鳴くこと)もない。

 私と怪獣が探し回っている間も、原因を作ったはマダラ猫の神隠しの時と同様に高鼾で眠っていた。

 家中を探しても見つからず、午前2時を回って探し疲れたので、諦めて寝ようと言う事になり、最後に全ての部屋をもう一度チェックして回る事に…

 地下室に続く扉を開けたら、階段の真ん中くらいにスミちゃんがちょこんと座っていました。
どうやら地下室に迷い込んでしまっていたようですが、地下室は物置状態で物が多すぎて隠れる所が沢山あって、探した時には見つけられなかったようでした。

 キャットフードで釣って、近寄って来たところを捕まえて無事にケージへ入れることができました。

 ラッキーだったのは、スミちゃんは抱っこOKの猫だったので、片手にキャットフードを持って、もう片手で捕まえる事が容易にできた事です。
 これが抱っこ大嫌いのシマちゃんだったら一人で捕獲は難しかった事でしょう。

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(↑シマちゃん)

 

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2024年9月23日 (月)

桃の季節

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 8月の上旬に、スーパーで桃が1ポンド98セントのセールになっていて、が桃が食べたい~と、10個くらい買いました。

 まだ熟していないものを買ったのだけれど、桃を買った翌日にが出張になってしまい、桃が熟し始めた頃にはは不在で食べられませんでした。
 出張から戻った頃には熟しすぎて食べごろを過ぎてしまうだろうなぁ…と、思ったので桃を使ったスウィーツを作る事にしました。

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(↑桃のベークドケーキ)

 作ったのは桃のベイクドチーズケーキとピーチ・クリーム・パイ。

 桃のベイクドチーズケーキは一昨年ピーチ・クリーム・パイは去年作って美味しかったのでリピートして作りました。

 作って後で、桃のアイスクリームを作ればよかったと気がついたのだけれど、後の祭り。
またセールにならないかなぁ…

 

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2024年9月20日 (金)

水墨画シスターズ我が家の家族になる

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 去年の暮れにマダラ猫が20歳と5カ月で虹の橋を渡ってしまって以降は、我が家は猫のいない暮しでした。

 去年の秋ごろから始めたの転職活動が、6月に終わって新しい転職先が決まるまでは、余裕がなくて新しい猫を探す気分にはなれなかったためです。

 夏も過ぎて私はそろそろ新しい猫を探そうと、思っていたのですが、は亡くなったマダラ猫の代わりになるような猫は見つからないだろうと、猫探しには消極的でした。

(↑引き取った猫を保護していた施設)

 転職直後で出張は多いし、新しい仕事に慣れるのに忙しいが猫探しに時間を作るのは難しいだろうと思ったので、いつも一緒にハンバーガーを食べに行くCさんと一緒に猫探しをすることにしました。

 Cさんは3か所の施設から猫を引き取って、今は5匹の猫を飼っていて猫や犬の保護施設に詳しかったので案内してもらいました。

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 9月11日に、Cさんに最初に案内してもらった施設は、猫の保護エリアと犬の保護エリアは別の建物に分かれていて、猫の保護エリアには3つ部屋にコンロッカー風の猫の個室が並んでいてドアがアクリルの透明な板で出来ていて中を見る事が出来ました。アクリルのドアには、中の住猫の仮の名前と年齢や月例、性別、特徴などが書かれていました。それぞれの部屋には大体15~25個くらいの個室がありました。

 3つの個室の部屋以外には広いプレールームのような場所があって、キャットタワーや猫のベッドなどが並んでいて、こちらは比較的大きな猫が窓際で日向ぼっこしたり遊んだりしていました。

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 猫の個室のある部屋の中にいた猫の中で、グレーの縞の猫が目にとまりました。
 ドアに貼られているラベルにはメスで5カ月と書かれていて、同じラベルにメスの黒猫とオスの黒猫の名前も書かれていて、どうやら3匹は兄弟猫のようでした。

 黒猫はどちらも爪まで真っ黒の福猫でした。

 グレーの縞の猫が気にいったので、家族に迎えることに決めたのですが、以前マダラ猫を飼っていた時に猫同士遊ぶ相手がいないのが可哀想で、後で白猫を保護団体から引き取った経緯があったので、姉妹猫の黒の雌猫も一緒に引き取る手続きをすることにしました。

 出来たらオスの黒猫も合わせて3匹引き取りたかったのですが、我が家の経済状況では(なにかあって獣医に通院しなくてはならない場合なども考慮すると)2匹が限界だろうと言う事でメスの姉妹猫を譲渡してもらう手続きをする事にしました。

 Cさんの話によると、以前は紙のフォームで申し込みだったようですが、コロナ以降はインターネットの申し込みのみになったそうです。

 その場で自分のタブレットを使って申し込みをして帰宅しました。
 帰宅すると申し込み受け付けのEメールが届いていました。

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 申し込みをした週の翌週の火曜日に保護団体から電話で連絡があり、月曜日から土曜日の午前11から午後5時までの時間に予約をして引き取りに来てOKと言う事でした。

 譲渡の費用は1匹で125ドル、2匹目は75ドルで2匹合わせて200ドルでした。
 譲渡の費用には予防接種、猫白血病と猫エイズの検査、避妊手術、マイクロチップの費用が含まれていました。

 は「譲渡費用に125ドルは高い!」と、言っていましたが、予防接種も避妊手術もマイクロチップも込みの値段だと言うと、高いどころかむしろ安いと言う事を理解してくれたようでした。

 火曜日に連絡があったので、と相談して翌日の水曜日の午後4時に予約を取ろうと思って折り返し電話をしたら、留守電が出たので私の名前と電話番号と引き取り希望の日時を告げて連絡くれるようにメッセージを残しました。

 ところが、その日のうちに返信はなく、翌日の午前中も返事がなかったので、紹介してくれたCさんに「今日の午後4時に引き取り希望と留守電に入れたけれど、折り返しの電話がないから困っている」と、相談したら、「留守電に残した希望の日時に引き取りに行っても大丈夫だよ」と、言ってくれて一緒に引き取りに行ってくれることになりました。

 Cさんに相談した後、1時間くらいして保護団体から連絡があり、「何の用事でしょう?」と、聞かれた。

( ゜Д゚)ハァ?留守電聞いてないんかい⁉(#`皿´) 怒

(流石アメリカ)

「今日の午後4時に引き取りに行きたい」と、言ったら電話の向こうで何やらバタバタしていたけれど、引き取りに行ってもいい事になりました。

 Cさんと一緒に引き取りに行ったら、グレーの縞だと思っていた猫は顔と手足だけげ縞模様で、お座りしているのを正面から見たら縞猫に見えるけれど、背中は一面グレーお腹が白い柄だった事が判明。

(;゜д゚)…えーっ!縞柄だと思って名前も『シマ』ちゃんに決めてたのに…詐欺だ~

 黒猫の方は決めていた通り『スミ(墨)』ちゃんで決定。
 迷った挙句、一部グレーの縞柄の猫はそのまま『シマ』ちゃんでいく事にしました。
 ついでに、黒猫とグレーと白の組み合わせなので、2匹合わせて水墨画シスターズと命名しました。

 無事に水墨画シスターズが我が家に到着、部屋の中で放し飼いにしていると人間を怖がって家具の隙間やソファーの下に潜り込んで出てこなくなってしまうので、人間に慣れるまではケージで生活してもらって、おやつや人間と遊ぶ時にケージから出して徐々に時間を増やしていく予定です。

 

 

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2024年9月 9日 (月)

暫くブログ不定期更新にします

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 8月下旬~9月の上旬にかけてミズーリ―州へドライブ旅行の記事とレイバーデーの記事を連続して書いて来ましたが、9月に入って急に寒くなって体調を崩した事と、引き続きブログの引っ越し作業をしているため、今週から不定期更新に戻ろうと思います。

 現在、Bloggerに2014年の2月の記事をアップデートしているところで、記事(下書き)の移行は2014年の6月を移行しているところです。
 去年の8月から引っ越しをスタートして1年過ぎました。
 今年も残すところあと3カ月とちょっと、今年中に終えるつもりだったので間に合うといいなぁ…あと3カ月で(2023年と2024年の今までの記事は既にコピーし終わっているので)9年分の移行、果たして間に合うのか?

 

 

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2024年9月 6日 (金)

レイバー・デー

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 レイバー・デーは連邦の祝日『労働者の日』で9月の第1月曜日です。
今年は9月2日でした。

 アメリカ人にとって、夏はメモリアル・デー(『戦没者記念日』5月の最終月曜日)から始まってレイバー・デーが最後の日になります。
 夏季のみ営業のお店や施設はこの日が最後の営業日になるし、夏季時間や夏季料金の設定がある場合はこの日が最終日になります。
 学校もレイバー・デーの翌日から新学年が始まるところが多いです。
 学校の始まる前の最後の週末と休日なので、BBQやパーティーをしたり、旅行に行く人たちもいます。

 我が家はレイバー・デーの週末の土曜日に教会のBBQに招待、日曜日にR.C.さんご夫婦と我が家で和食の食事会の予定でした。
 土曜日のBBQは我が家の車の修理が終わらずに車が使えず参加することは出来ませんでしたが、日曜日の食事会は自宅だったので無事に出来ました。

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(↑デザート)

食事のメニューは

・鶏そぼろ3色丼
・米ナスの味噌田楽
・いももち(怪獣作)
・キュウリの浅漬け
・トマトの出汁マリネ
・小豆クリームのピカーンカップケーキ(デザート)
・ブルーベリー・スワール・チーズパウンドケーキ(デザート)

でした。

 R.C.さんは若い頃日本で働いていたので日本食にも慣れているのだけれど、奥さんはドイツ人なので少し心配でしたが、「美味しい」と言ってくれて完食してくれたので良かったです。

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(↑太陽光の光源で撮影したデザート)

 食事の時間は夕方でLEDの光源での撮影だったので、翌日デザートのみ太陽光の光源で写真を撮りなおしました。

 レイバー・デー当日は、の仕事に着ていく服、怪獣のジーンズを買いに近くのアウトレットモールに行きました。
レイバーデーのセールをやっている事もあって、かなりの人出でした。
 のポロシャツを3着と長袖シャツを1着、怪獣のジーンズを2本買いました。

 9月に入った途端に急激に涼しくなり、最高気温が20℃前後、最低気温は10℃前後まで下がるようになって、身体が温度変化に対応出来ずにレイバー・デーの翌日に私もも風邪をひいてしまいました。

 

 

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2024年9月 4日 (水)

ミズーリ州へドライブ旅行7ートルーマン・ホーム&その他ー

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 Nationai Frontier Trails Museumから徒歩で歩いて行ける所に第33代大統領ハリー・S・トルーマンが住んでいた住宅があったので、Nationai Frontier Trails Museumを観た後に歩いて見に行きました。

 ハリー・S・トルーマンは1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルトの死去に伴って副大統領から大統領に昇格した。
 ミズーリ―州の別の町の出身で、6歳の頃にインデペンデンスに両親とともに引っ越してきたそうです。

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 トルーマン・ホームはトルーマンの奥さんベスの実家で、1919年に結婚してからミズーリ―の家として亡くなるまで使われていたそうです。

 内部のツアーもあったのですが、私たちが訪れた時には開館時間が終わっていて門が閉まっていました。
 開館時間は水曜日~日曜日の午前9時~午後5時で、ツアーのチケットは別の場所にあるビジターセンターで販売されているそうです。

 トルーマン・ホームの外観を撮影した後は、ウォルマート(大型スーパー)へ寄ってご当地Tシャツを買って帰路につくことにしました。

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 帰路は往路と別のルートで帰ったのですが、往路と比べるとより田舎を通っているハイウエイだったので、ミズーリ―州内ではガソリンスタンドのあるような町が周辺になく、「ガス欠したらどうしよう…?」と、(怪獣の運転&私が助手席の組み合わせで)冷や冷やしながら走りました。
 かなり南のルートだったようで、ミシシッピ川を越えてイリノイ州に入る直前に別の州を2分くらい走りました。
別の州に入った瞬間スマホで案内板を撮影したのですが、深夜だったためぶれていてどの州だったか分からず仕舞いでした。

 私の運転に変わってイリノイ州で3時間くらい仮眠した後、インディアナ州で給油して運転をに代わって自宅へ向かいました。

 アメリカの北部の高緯度地域の州は、冬は地面が凍結するため夏の間に大規模な道路の修理&工事をします。
 今回のドライブ旅行でもハイウエイのあちらこちらが工事をしていて、車線が減少していました。
 我が家は主に夜間のドライブだったので、渋滞に巻き込まれる事はなかったのですが、昼間で市街地に近い所は渋滞していたかもしれないです。

 今回はカンサスシティとインデペンデンスの2つの市を訪問しましたが、1泊4日の駆け足でのドライブ旅行だったので、行きたかった観光地の全てを観光することは出来ませんでした。

 ミズーリ―州はルート66も通っていたので、次回(があれば)是非ルート66関連の観光地も訪れたいし、ミズーリー風BBQも食べてみたいです。

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2024年9月 2日 (月)

ミズーリ州へドライブ旅行6ーNationai Frontier Trails Museumー

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 Chicago & Alton Depo Museumで、インデペンデンス市内の観光マップを貰ったので、今度はそれを頼りにNational Frontier Trails Museumへ向かいました。

 ミュージアムのあるミズーリ―州インデペンデンスは、開拓者が西部へと向かう『サンタフェ・トレイル』『カリフォルニア・トレイル』『オレゴン・トレイル』の3つのトレイルのスタート地点や分岐点になっていて、Jumping-off townと呼ばれていたそうです。
 Nationai Frontier Trails Museumは上記の3つのトレイルと『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』『モルモン・パイオニア・トレイル』の2つのトレイルを加えた5つのトレイルについて展示されています。

ルイス・アンド・クラーク・トレイル 

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(↑ルイス・アンド・クラーク・トレイルの展示)

 5つのトレイルの中で最も古いのは『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』です。
 1803年にルイジアナ・パーチェスでフランスから210万平方キロメートルの広大な土地をアメリカ合衆国が買い取った事で、西海岸への開拓に関心が集まり、当時の大統領トーマス・ジェファーソンの命で、1804年~1805年に西部への探検隊(ルイス・アンド・クラーク探検隊)が送られました。
 その探検の時に通ったルートが『ルイス・クラーク・トレイル』です。
 以前の記事に、ルイス&クラークの探検を記念した5セント硬貨について書いたことがありますが、この探検には途中からネイティブアメリカン(アメリカンインディアン)の女性サカジャウィアが同行し、彼女は映画『ナイトミュージアム』シリーズ1~3にもサブキャラクターで出てくるくらい有名な女性です。

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(↑ミズーリ―州道210線、ルイス・アンド・クラークトレイルの一部で、道路標示にもその旨が表示されている)

サンタフェ・トレイル

 サンタフェ・トレイルはミズーリ―州からカンサス州、コロラド州を経てニューメキシコ州に至るトレイル。
起点はフランクリン(ミズーリ―州)終点はサンタフェ(ニューメキシコ州)

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カルフォルニア・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、(コロラド州、)ワイオミング州、ユタ州、アイダホ州、ネバダ州、を経てカリフォルニア州に至るルート。
 主要なルートの周りに派生した数多くのルートがある、アイダホ州でオレゴントレイルと分岐する。モルモン・パイオニア・トレイルともルートが重なる部分がある。

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オレゴン・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州、を経てオレゴン州に至るルート。

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(↑牛に荷車を牽かせるための頸木)

モルモン・パイオニア・トレイル

 イリノイ州ノーブーから、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州を経てユタ州ソルトレイクシティまでのルート。
 オレゴントレイルとネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州とルートの一部を共有している。
 また、ミズーリ―州インデペンデンスからオレゴン・トレイルを通ってユタ州まで至るルートもある。

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(↑左:当時の荷車と現代のワゴン車の比較
右:当時、一般的に『荷車に積まれていた物』のリスト、
画像クリックで拡大画像へ)

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(↑ 一つ上の『荷車に積まれていた物リスト』にしたがって、棚のなかから荷物を水色の荷車に積み込むゲーム)

 展示を観ていて思った事は、アメリカの西部開拓の基本的な歴史を知っていたらもっと面白いだろうなぁ…と、言う事でした。
(アメリカでは小学校からアメリカ史を習うので、子どもでも楽しめるミュージアムだと思いました。)

 ミュージアムは初めに15分くらいのビデオを観た後に、展示をみる順番になっていますが、展示の部屋は自由に行き来できるようになっていました。

 開館時間は、月曜日~土曜日まで午前10時~午後6時、日曜日は閉館。(2024年8月現在)

 ミュージアムの入場料は無料ですが、任意で寄付することができます。(2024年8月現在)
無料だけあってWWⅠミュージアムと比べると展示の規模も小さくて内容も充実していなかったです。

 建物内にはミュージアムショップもあって、お土産を買う事も出来ました。

 移転する前の情報を載せているウエブサイトでは、入場料金もあったし、ミュージアムのツアーも幌馬車体験などの季節の催しもあったので、移転してから展示の規模が随分縮小してしまったのかもしれません。
 新しい情報のウェブサイトにはTemporaly site(臨時の建物)と書かれているので、またどこかに移転するのかも知れません。
入場料を払ってもいいので、以前以上の展示に戻して欲しいなぁ…と、思いました。

 

 

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