留学するまで

2017年2月23日 (木)

教育難民

Dsc09106s 最近、『○○難民』と言う表現をよく見かけるようになった。
本来の難民(:天災や戦禍などで生活が困難だったり、人種や宗教や政治などで迫害されて外国に逃れた人々。)の意味ではなくて、『○○で困っている人』とか『○○から追い出された人』の意味で使われる事が多いようだ。

 ネカフェ難民、出産難民、保育園難民、学歴難民、など社会的なものから、Twitter難民とか、アニメの難民とかファッション難民とかサブカルチャー系のものまで色々。

Dsc09107s この近頃の『○○難民』という使い方を見て、「我が家ってもしかしたら教育難民だったんじゃない?」と、ふと思った。

 以前の記事、留学のきっかけIEPもどき4に詳しいことは書いてあるのだけれど、発達障害をいもつ怪獣(我が家の息子)は日本の教育のシステムの隙間に落ち込んでしまっていて、適切な指導や教育を受けられずにいた。

 怪獣が就学した2000年代初頭はまだ日本にIEPも導入されておらず、健常児(私は健常という言葉は好きではないのだけれど…)は普通学級、ハンディのある子は普通学級と特殊学級(現在の特別支援学級?)と養護学校(現在の特別支援学校?)の3択という大雑把な分類だった。

Dsc09109s 90年代あたりからADHDやアスペルガーやLDなどの発達障害が認識されるようになり、今までは普通学級のちょっと困った子だった子たちが発達障害と診断されるようになって、特殊学級とは別に情緒学級などの学級をもうける学校もあったり、言語の指導を個別で行う学校もあった。

 (発達障害を含む)障害を持った子は、普通学級か特殊学級のどちらかに所属して、授業の内容に合わせて普通学級と特殊学級を行ったり来たりするという形で対応がされていた。

 怪獣は普通学級に所属して、(怪獣の通っていた小学校には言語指導のクラスがなかったため)言語の指導(週に1時間)だけ隣の学区の小学校へ通級していました。

 また怪獣が就学した当時は、特殊学級の教諭にも研修を履修させたり特別な資格などは要求されていなかったので、希望者や普通学級を担任することが難しい(指導力の低い)教師が割り振られているケースもあったようです。

Dsc09111s_2 (集団での指示が入らないなど)コミュニケーションの問題と、得意な教科と苦手な教科の差が激しいというばらつきを持つ怪獣は普通学級と特殊学級のどちらで授業を受けていても最低限必要な学力を身につけられていない状態でした。

 2007年には日本でもIEPが導入される予定だったのですが、導入されて軌道に乗るまで怪獣の成長は待ってくれない。

 このままではダメだと思い、怪獣怪獣の姉)を連れて(すぐには就労ビザの取れないを日本に残して)母子留学のために渡米したのが2005年で、当時怪獣は9歳だった。
 その後、就労ビザを取得したが2009年末に渡米。
2012年には永住ビザを取得して今に至っている。

 怪獣の教育のためとはいえ、日本を離れてアメリカに来るのはある意味懸けだった。
アメリカに来たって(語学の問題もあるし)怪獣にとって(日本よりも)より良い教育が受けられる保障はなかった。
(色々調べたし、親の勘も含めて考えた上で決断&計画したので、行き当たりばったりというわけではなかったけれども、新しい環境に飛び込むのは勇気がいった。)
背水の陣というか、もう後がないというか、頑張るしかない状況だった。

 幸いアメリカの学校や教育のシステムや文化などが怪獣の肌に合って、渡米して2カ月くらいで怪獣は落ち着き、「(たとえ英語が喋れなくても)日本には帰りたくない」とはっきり言うようになった。

Dsc09113s そりゃそうだよねぇ~
怪獣は日本にいた時は完全にクラスで部外者扱いだった。  

 ゆとり教育の真っただ中で、保護者にも余裕がなかったように思う。
 教育サービスの奪い合いというか、障害のある子がクラスにいて手がかかるため自分の他の子どもへの指導が手薄になるんじゃないか?障害児に合わせて授業の内容が簡単にならないか?とか、自分の子どもが障害児の世話をさせられるのが嫌など、”ゆとり”でただでさえ学力低下が心配なのに困った子の為にうちの子が割を食うのは嫌と、いうギスギスした雰囲気が漂っていた。

 日本にいた時は、怪獣も何となく自分がクラスのお荷物扱いという事を肌で感じていたのだろうと思う。
 移民の国アメリカの外国人に対する寛容さに触れて、クラスの一員として認められ徐々に自信もついてきて、同年齢の子と関わりも改善し、日本にいた時に頻繁に起こしていたパニックは激減し た。
 怪獣の情緒が安定したことが、渡米したことの最大のメリットだったと思う。

 今は、IEPも導入されて今年で10年、ゆとり教育も終わって日本の発達障害児の教育環境も良くなって来ているだろうから、我が家のように教育難民する必要はなくなっているかもしれない。
 発達障害児を取り巻く教育環境が改善していたとしても、今現在怪獣が小学生で日本に住んでいたら、やはり我が家はアメリカ行きを決断したと思う。
 型破りな我が家は、日本のお任せコースの教育より、自己責任だけれど可能性や選択肢が沢山あり、柔軟性に富んでいるアメリカの教育の方が肌にあっているから。

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2013年7月30日 (火)

IEPもどき4

013s_2後日談の後日談:

 IEPもどきについては、前回の記事で終わる予定だったのだけれど、今回は、なぜ折角の「IEPもどき」を2年で見切りをつけて、留学を決心したのかを書くことにします。
 
 IEPもどき(ボランティアのヘルパーさんをつけてもらうこと+学期の終わり毎の反省会)のヘルパーさんは週に2~3日、1回2時間~3時間来てもらっていました。
 IEPもどきが始まった頃は、怪獣もまだ1年生で、学習の内容も難しくなく、週に4~9時間くらいの補助で学校生活にうまく馴染んでいました。

 小学校2年の時は、ヘルパーさんは途中で変わったものの、担任は持ち上がりで環境の変化も少なく、IEPもどきは効果をあげていました。

 

004s 小学校3年に進級した時に、担任が変わり、学習内容も難しくなって、IEPもどきの内容の調整や変更が必要になって来ました。
 
 ヘルパーさんを派遣してもらっているボランティア人材センターに、時間数を増やしてもらえるかどうか相談したのですが、一人のヘルパーさんを長時間拘束するのはヘルパーさんの負担が大きすぎるし、人数を増やそうにもボランティアをしてくれる人の数が足りない状態で、現状維持が精一杯とのことでした。

 

043s その上に、新しく変わった担任から「学校生活に支障が出ているので、特殊学級への移籍を考えてはどうか」と提案がありました。
 担任の要請で、教育委員会の職員が(ヘルパーのついていない時に)怪獣の授業の様子を視察に行ったみたいで、教育委員会から呼び出しがかかりました。
 教育委員会の職員いわく、
「お宅のお子さんの学校での生活の様子を見せていただいたのですが、授業中は折り紙や絵を描いているだけで、授業を全く聞いていない。
担任の指示も理解していないようで、ここまでハンディの重いお子さんが普通学級に在籍するのは無理があるので、特殊学級が適当かと…」
 
ハァ~?(`△´+) ナンダト!!
今更何言ってるんだ~? 


 怪獣が入学した頃に特殊学級に在籍していた車椅子の生徒は、前の年度に卒業して空きが出ていた。
 入学の時は普通学級を薦めてきて、補助が必要だと相談に行った時は普通学級に在籍していることを理由に断ったくせに、3年になって特殊学級に空きが出たので、今度は特殊学級に移るように圧力をかけてくる。
 自分たちの都合ばっかりで、子供の状態を全く考えてくれていない教育委員会に失望した。

 

014s また、環境が変わって一時的に不安定になっていて、今まで出来たことが出来なくなっている怪獣を理解してサポートしてくれるのではなくて、特殊学級に移籍させてしまおうとした担任の態度にも不信感をおぼえました。

 他にも、保護者会で授業参観に参加した時に、怪獣は部外者扱いで授業に参加するチャンスが与えられていなかったこと。
 PTAの役員の活動で学校に行ったときなどに、授業の様子を覗いた時も、自分から発言の出来ない怪獣は担任から無視されて空気のように扱われる姿を見て胸が痛みました。

 それまで学校や教育委員会と交渉して、怪獣が適切な教育を受けられるように親として手を尽くしてきたけれど、日本の教育制度の中で発達障害を抱えた怪獣に教育を受けさせることに限界を感じました。
 
 「怪獣を教える方法を知るために、アメリカに行ってIEPを学びたい」
という、思いが強くなってきたのもこの頃で、アメリカに母子留学を決意して準備をすることにしました。

 留学の決意と準備の様子は、留学のきっかけ2留学のきっかけ3留学のきっかけ4ビザ取得に書いてあるので、興味のある方はどうぞ…

 

続きを読む "IEPもどき4"

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2013年7月29日 (月)

IEPもどき3

016s  (前記事からの続き)

 校長先生との話し合いには短時間だけれども、怪獣の担任も参加しました。
 怪獣の状況とボランティア人材センターのコーディネーターさんとの話しの内容を話して、人材センターのヘルパーを受け入れを許可してくれるようにお願いしました。

 ヘルパーの必要性は納得してもらえたけれども、公務員や保護者以外の人間を学校に受け入れるのは消極的。
 ボランティアなので料金は発生しないこと、人材センターは市から認可されている団体で、市の福祉課と連携して活動していて、ヘルパーに登録されている方も身元がしっかりしていることなども説明しましたが、
校長はとにかく「前例がないので…」と、言葉を濁すばかり。

002s 「前例(先例)がないので…」

 この言葉をそれまで何度耳にしてきたことか!
お役所関係相談に行くと、断るための常套句なっているんじゃないかと思うくらい、口をそろえて同じセリフを繰り返す。
(前例がないから相談に来てるんじゃん!!
だから、「お役所は融通が利かない」って言われるのよ!!
(*`∧´)プンプン)

 多分、そう言われるだろうと思ってはいたので、覚悟は出来ていたし、人材センターのコーディネーターさんは障害児にヘルパーを手配した経験の持ち主。

私:「人材センターのコーディネーターさんは、別の学校で発達障害児にヘルパーさんを手配した経験があるそうですよ。」
と、話したら、校長先生の表情が変わった。

校長:「そういうことなら、ヘルパーを受け入れる方向で(コーディネーターとヘルパーも含めて)関係者全員で再度話し合いを持ちましょう。」
と、いうことになった。

128s 2度目の話し合いでは、校長、担任、コーディネーター、ヘルパー、私たち夫婦、が参加して具体的なスケージュールなどを調整しました。

 話し合いの結果、ヘルパーさんに来てもらうのは、週に2~3回、1回2~3時間ということに決まった。
 また、学期の終わり毎に、関係者で集まって反省会をすることも決まりました。

 その時の話し合いの参加メンバーは、誰もIEPについての知識はなかったし、特殊教育の専門家もいなかったけれど、図らずもIEPミーティングと同じことをすることになったのは興味深いです。

かくして始まった「IEPもどき」は、私たちが渡米するまで、(途中でヘルパーさんの交代はあったけれど)約2年間続けられました。

 

続きを読む "IEPもどき3"

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2013年7月28日 (日)

IEPもどき2

094s  (前記事からの続き)
  
 「このまま放っておくと、読み書きも計算も出来ない、生きるために必要な最低限の知識も身につかないまま義務教育が終わってしまうかも…」
と、不安に駆られた私たち親は、問題を解決するための方法を模索することになりました。

 当時の怪獣の学校生活(特に授業)での主な問題点は、
1対1の指示は理解できるが、集団での一斉指示が理解できない。
興味のあるものとそうでないものがはっきりしていて、興味のないことには全く取り組もうとしない(話すら聞かない)。
の2つでした。

154s それらの問題を解決して状況を改善するには、
集団での指示をわかりやすく説明してくれる人。
興味のないものに対して声をかけて励ましてくれる人。
が、必要という結論に達したので、教育委員会に相談に行ったのですが、断られてしまった。
 
 「行政がやってくれないなら、自分でヘルパーを探すしかない」
のだけれど、我が家の経済状態では個人的にヘルパーを雇うお金がない。

004s  怪獣が就学前に通っていた療育施設と同じ建物に、ボランティア人材センターもあったので、そこに相談に行くことにした。

 人材センターのコーディネーターさんに怪獣の状況を話して、ヘルパーさんを手配できないか相談したところ、ラッキーなことに、そのコーディネーターさんは以前に働いていた職場で、自閉症の子の学校付き添いを手配した経験のある方で、早速登録しているボランティアさんに声をかけてくれることになった。
 親の私たちには、学校にヘルパー受け入れの許可の交渉に行くように指示されました。

 当時の学校の校長先生とは、学校での投薬の件で入学前に相談に行ったことがあって面識はあったので、面談の日程もスムースに決まり、私たち夫婦と校長の3人で話し合いを持つことになりました。
(投薬の件でも市とゴタゴタがあったのだけれど、それを書くと話が脱線してしまうので、そのうち機会があったら書くことにします。)

 長くなりそうなので、校長先生との話し合いの内容は、次回に続く…

 
 

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2013年7月27日 (土)

IEPもどき

007s 4月のはじめくらいに、ブロ友さんと、
「日本の学校や教育委員会など(教育に携る公的な機関)は融通が利かない。」
と、いう話になって、
 そのうち、我が家が日本で体験したことを記事に書くと約束していたのだけれど、延び延びになったまま早3ヶ月が過ぎてしまった。

(*_ _)人ゴメンナサイ

101s  日本にいた頃私たちの住んでいた市では、障害児は就学前に教育委員会の職員と面接があって、面接の結果で養護学校特殊学級(特別支援学校と特別支援級のこと。当時はまだそう呼ばれていた)か普通級に就学するかが割り振られていました。
 うちの怪獣は言葉が喋れた事、(1対1での)指示がとおる事などから、普通学級に在籍するように言われました。

 特殊学級について質問をしたのですが、職員に
「お宅のお子さんが通う予定の学校では、特殊学級に車椅子のお子さんが在籍していて、職員の一人がそちらにかかりきりで人手が足りないので、自分の身の回りのことが出来る子は普通級に在籍して欲しい。」
と、言われました。
 
 その時は勉強不足だったことも手伝って、
「(経験のある)教育委員会の職員がそう判断するなら、そのほうがいいのだろう」
と、深く考えずに普通級に在籍することになりました。

125s ところが、 実際就学してみると、普通学級では色々不都合が出てきたので、教育委員会に補助の人をつけてくれるようにお願いに行ったのですが、普通級に在籍していることを理由に断られてしまいました。
(詳しい経過は過去記事「留学のきっかけ」に書いてあります。)

 普通学級に在籍するということは、普通学級のカリキュラムに個人が合わせていかなければならない状態で、ハンディや問題を抱えている子がいても、学校や教育委員会は対策を講じる義務がないのだ、という事がわかって愕然としました。 

長くなりそうなので、続きは次回に… 

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2012年12月12日 (水)

英語力と留学2<br>行けば何とかなる?…わけないかも…

Image2  低レベルの英語力だったにも関わらず、大胆にも私の留学の決意を促したのは、

の留学前の英語力(実業高校卒で高校で英語を勉強することがほとんどなかったので、中学1年くらいのレベルだった)は私よりも低かったが、(大学付属の語学学校も含めて)5年でアメリカの大学を卒業できていること。

②私は英語が苦手と言っても、とりあえず日本の大学の教養の英語の単位はとれていること。
の2つでした。

 今思えば、
行けばなんとかなるんじゃないかなぁ~
と、(留学関連のサイトや知恵袋のようなQ&Aのサイトで、「失敗確実」「絶対やめろ!」と再三警告されているタイプの)海外に留学した経験のない人が錯覚しがちな安易な決断でした。
 
 安易な決断だったにも関わらず、入学許可もでて、学生ビザも無事に取れ、2005年の夏に渡米。
 秋学期から語学学校での授業が始まりました。

 アメリカに着いて入学手続きの後、すぐにプレースメント・テスト(診断テスト)を受けるように指示されました。
 日本にいた頃に、英語の映画(主にアメリカ映画)を観るのが趣味だったおかげもあってか、リスニングとスピーキングの成績が良くて、5つあったレベルの中の真ん中のレベル3(中級)のクラスに割り当てられました。
 
 リスニングがそこそこ出来たので、授業で教師の言っていることがさっぱりわからないという事態にはならなかったですが、日本で勉強不足だったため宿題をこなしていくのが大変でした。
(私の通っていた大学付属の語学学校は、その界隈で最もスパルタ式の学校で、宿題の量が多いことで有名な学校でした。)

 「学問に王道なし」
 結局、日本でやってなかった英語の勉強を、アメリカの語学学校でするハメに…
o(T◇T o)ビエーン…

 
私はお尻に火がつかないと行動しない(トラブルなどが起こって追い詰められると力を発揮する)タイプ+トラブル・シューティングを楽しめるタイプなので、英語力が低いにもかかわらず留学してなんとかなった(なんとかした)けれど、トラブルをストレスに感じるタイプだと辛いと思う。

今回の教訓:留学前の英語力が低い場合は、「行けばなんとかなる」幻想
「行って
(日本でやっていなかった分の勉強も頑張って)なんとかする」「行っても(英語で英語を学ぶのが難しくて、やっぱり)どうにもならない」現実


 

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2012年12月10日 (月)

英語力と留学<br>英語力が低いのに留学?

Image1

 

 以前の記事にも書いたように、私の留学前の英語力は酷かった
 
 特に酷かったのは語彙。
単語帳等を使って単語だけを暗記することができないので、圧倒的に語彙力不足で、簡単な文章すらも辞書がないと読めない状態でした。

 ボキャブラリーだけではなくて、文法もかなりあやふやでした。
5文型(SVOC)などの基本的な文法は理解していましたが、関係詞の制限用法とか非制限用法とか、現在完了形の継続・終了などの用法を指摘できない。
(実は今も出来ないけれど…(^-^;

(多くの日本人がそうであるように、)私も日本の学校英語の教育法で英語が身につかなかった一人でした。

 留学関連のサイトなどでは、語学留学が目的の人を除いて、学部留学以上を目指す人は、(語学留学から始めるにしても)日本である程度(例えばTOEFL-pbt500以上とか)英語の勉強をしっかりしてから行くようにアドバイスしているものが多いです。

 けれど、その時の私の状態だと日本で英語の勉強をしていたら、何時までたっても留学出来そうもなかったので、思い切って語学留学からスタートして学部留学を目指すことにしました。

長くなりそうなので、続きは次回に…


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2012年11月25日 (日)

アメリカの発達障害児就学事情

Dsc00548s

 私は日本の学校の特別支援のことはあまりよく知らない。
怪獣が日本の学校に通ったのは、小学校1年~小学校3年の1学期まで(2年と3ヶ月強)だし、色々な事情で普通学級に在籍していたから。
 怪獣の場合、特殊学級に在籍するほど重くないけれど、普通学級ではついていけない。
システムの隙間に落ち込んでしまった感じで、適切な指導が受けられない状態でした。 
  
 「学校(行政)が面倒見てくれないなら、自分で方法を探すしかない。」
と、思い、親子留学することにしました。
(「なんで、突然、留学に話がいくんだ~」ですが…
(^-^;
過去の記事「留学のきっかけ」「留学のきっかけ2」に、いきさつが書いてあるのですが、今日の記事の内容と特に密接な関係があるわけではないので、興味があれば参考程度に読んでみてください。)

Dsc00539s  日本の特別支援についてよく知らないので、思い違いもあるかもしれないけれど、
 怪獣が通っていたアメリカの学校と日本の学校のシステムで、大きく違うなぁと思った点は2つ。
 
 ひとつは、日本のような特別支援学校や特別支援学級がないこと。

 重度の障害児のための特別な学校はあるのだけれど、重度の子でも普通の公立学校に通っているケースもあるし、日本の様に区別がはっきりしていません。

 日本の特別支援学級のようなものもなく、小学校は基本的には普通の学級にいて、IEPで決められた時間だけスペシャル・エデュケーションの教室に通級という形です。
教室にはテューター(補助)がいて、障害の度合いによって専任の形でつく場合と、クラス全体のヘルプの形でつく場合があります。
怪獣の場合は、英語でコミュニケーションが出来るようになるまでの最初の2年間は専任のテューターがつきましたが、それ以降はクラス全体のテューターでした。)
 
 ミドルスクール(中学校)以上になると、教科ごとの習熟度別のクラスになります。
身体障害のない身辺自立の出来ている発達障害の子はほとんど、遅れている教科のみがIEPや助けが必要な子のクラス、その他の教科は普通のクラスや(場合によっては)アドバンスのクラスに時間割が組まれます。
怪獣は、英語がIEPの子の多いクラス、数学は一般のクラス、その他の教科は一般のクラスだけれど教師が2人(1人が教えて1人は補助)のクラスです。)

014

ふたつめは、高校まで義務教育で高校受験がないこと。
 
 高校受験がなかったことは、怪獣ばかりでなくにとってもメリットでした。
の場合はオープンエンロールメントの大学に出願したので、大学受験も経験せずに大学生になってしまった。)
 はアメリカの中学に1年通っただけで英語力が低い状態での高校進学だったので、日本の様に高校受験があったら、どこの高校にもいけなかったと思います。
 怪獣は小学校~中学校とIEPを受けてきて、高校に進級する前にIEPを受ける資格があるかどうかのテストはありましたが、中学までのIEPを高校に引き継ぎました。
 中学校と高校と連絡がしっかりされているので、煩雑な手続きや話し合い等なしで一貫したIEPを受けられるので、親も子もストレスが少なくて済んだのは大きなメリットでした。
 
 その他にも、学校に行かずに自宅で学習するホーム・スクールの制度など、アメリカの義務教育は柔軟性があって融通が利くので、怪獣のような発達障害を持っている子にとっては負担が少ない仕組みだと思います。

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2009年9月21日 (月)

英語の勉強法9 (DVD観賞)

記事は↓に移転しました。

https://ohimhouse-archive.blogspot.com/2009/09/blog-post_21.html 

 

 

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2009年8月30日 (日)

運転免許の更新

記事は↓に移転しました。

 https://ohimhouse-archive.blogspot.com/2009/08/blog-post_30.html

 

 

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