教育難民
最近、『○○難民』と言う表現をよく見かけるようになった。
本来の難民(:天災や戦禍などで生活が困難だったり、人種や宗教や政治などで迫害されて外国に逃れた人々。)の意味ではなくて、『○○で困っている人』とか『○○から追い出された人』の意味で使われる事が多いようだ。
ネカフェ難民、出産難民、保育園難民、学歴難民、など社会的なものから、Twitter難民とか、アニメの難民とかファッション難民とかサブカルチャー系のものまで色々。
この近頃の『○○難民』という使い方を見て、「我が家ってもしかしたら教育難民だったんじゃない?」と、ふと思った。
以前の記事、留学のきっかけやIEPもどき4に詳しいことは書いてあるのだけれど、発達障害をいもつ怪獣(我が家の息子)は日本の教育のシステムの隙間に落ち込んでしまっていて、適切な指導や教育を受けられずにいた。
怪獣が就学した2000年代初頭はまだ日本にIEPも導入されておらず、健常児(私は健常という言葉は好きではないのだけれど…)は普通学級、ハンディのある子は普通学級と特殊学級(現在の特別支援学級?)と養護学校(現在の特別支援学校?)の3択という大雑把な分類だった。
90年代あたりからADHDやアスペルガーやLDなどの発達障害が認識されるようになり、今までは普通学級のちょっと困った子だった子たちが発達障害と診断されるようになって、特殊学級とは別に情緒学級などの学級をもうける学校もあったり、言語の指導を個別で行う学校もあった。
(発達障害を含む)障害を持った子は、普通学級か特殊学級のどちらかに所属して、授業の内容に合わせて普通学級と特殊学級を行ったり来たりするという形で対応がされていた。
怪獣は普通学級に所属して、(怪獣の通っていた小学校には言語指導のクラスがなかったため)言語の指導(週に1時間)だけ隣の学区の小学校へ通級していました。
また怪獣が就学した当時は、特殊学級の教諭にも研修を履修させたり特別な資格などは要求されていなかったので、希望者や普通学級を担任することが難しい(指導力の低い)教師が割り振られているケースもあったようです。
(集団での指示が入らないなど)コミュニケーションの問題と、得意な教科と苦手な教科の差が激しいというばらつきを持つ怪獣は普通学級と特殊学級のどちらで授業を受けていても最低限必要な学力を身につけられていない状態でした。
2007年には日本でもIEPが導入される予定だったのですが、導入されて軌道に乗るまで怪獣の成長は待ってくれない。
このままではダメだと思い、怪獣と娘(怪獣の姉)を連れて(すぐには就労ビザの取れない夫を日本に残して)母子留学のために渡米したのが2005年で、当時怪獣は9歳だった。
その後、就労ビザを取得した夫が2009年末に渡米。
2012年には永住ビザを取得して今に至っている。
怪獣の教育のためとはいえ、日本を離れてアメリカに来るのはある意味懸けだった。
アメリカに来たって(語学の問題もあるし)怪獣にとって(日本よりも)より良い教育が受けられる保障はなかった。
(色々調べたし、親の勘も含めて考えた上で決断&計画したので、行き当たりばったりというわけではなかったけれども、新しい環境に飛び込むのは勇気がいった。)
背水の陣というか、もう後がないというか、頑張るしかない状況だった。
幸いアメリカの学校や教育のシステムや文化などが怪獣の肌に合って、渡米して2カ月くらいで怪獣は落ち着き、「(たとえ英語が喋れなくても)日本には帰りたくない」とはっきり言うようになった。
そりゃそうだよねぇ~
怪獣は日本にいた時は完全にクラスで部外者扱いだった。
ゆとり教育の真っただ中で、保護者にも余裕がなかったように思う。
教育サービスの奪い合いというか、障害のある子がクラスにいて手がかかるため自分の他の子どもへの指導が手薄になるんじゃないか?障害児に合わせて授業の内容が簡単にならないか?とか、自分の子どもが障害児の世話をさせられるのが嫌など、”ゆとり”でただでさえ学力低下が心配なのに困った子の為にうちの子が割を食うのは嫌と、いうギスギスした雰囲気が漂っていた。
日本にいた時は、怪獣も何となく自分がクラスのお荷物扱いという事を肌で感じていたのだろうと思う。
移民の国アメリカの外国人に対する寛容さに触れて、クラスの一員として認められ徐々に自信もついてきて、同年齢の子と関わりも改善し、日本にいた時に頻繁に起こしていたパニックは激減し た。
怪獣の情緒が安定したことが、渡米したことの最大のメリットだったと思う。
今は、IEPも導入されて今年で10年、ゆとり教育も終わって日本の発達障害児の教育環境も良くなって来ているだろうから、我が家のように教育難民する必要はなくなっているかもしれない。
発達障害児を取り巻く教育環境が改善していたとしても、今現在怪獣が小学生で日本に住んでいたら、やはり我が家はアメリカ行きを決断したと思う。
型破りな我が家は、日本のお任せコースの教育より、自己責任だけれど可能性や選択肢が沢山あり、柔軟性に富んでいるアメリカの教育の方が肌にあっているから。
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