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2024年6月

2024年6月29日 (土)

3度目の転職 その5 怒涛の2Weeks Noticeその2~退職

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 前回の記事からの続きです。

 の辞職で納期を前倒ししてくれないかと相談に行った下請け会社との交渉も(提示された追加料金よりも低い額で落ち着いて)上手く行き、の担当していたほぼ終わりかけの案件は、夫の2ウィークス・ノーティスの期間に何とか出来る目途はたったのですが、今秋ごろにスタートが予定されていた新規の別案件を担当出来る人が夫の部署にはいない状態でした

 退職日が決まった時に、パワハラを受けていた時に個人的に相談にのってもらっていた日本の本社の連携部署の部長さんに、が退職をする事を報告したら、「退職は残念だけれど(あまりにもパワハラや嫌がらせが酷かったので)仕方がない」と、言ってくれました。
 報告の電話の会話で、秋からの新規案件については、例え(の)代わりがすぐに雇えたとしても、経験不足で担当させるのは無理だろうから、日本本社の方で引き受ける事になるだろう、と、話していたそうです。

 との電話の後、その部長さんがが辞職することを日本のチームに発表したら、日本のチーム内でも動揺が広がり、秋からの新規案件は日本のチームが引き受ける事が暗黙のうちに理解されたそうです。

 当時担当していた仕事に目途もつき、秋からの新規案件も日本側が引き受けることになって、後はが作った独自プログラムのマニュアル作りのみと思ってホッとしていたら、HR(人事)から面談に来るように呼び出されました

 その面談では、職場で何があったのか、辞職の理由は何か、等を訊かれたそうです。
 At-will employmentなので、辞職の理由などをHRに報告する義務はないのですが、波風立てず穏便に辞職したかったは、プロジェクト・マネージャー(プロマネ)の仕事がしたくて、転職先の会社がプロマネの職で雇用すると言って来たので…と、答えて、大元のきっかけになった理由(上司のパワハラ)については告げなかったそうです。
 するとHRが、社内でもプロマネの職に申し込むことが出来たのに、知らなかったのですか?と、訊かれたので、は「知りませんでした」と、返事をして、HRとの面談はほぼ終了したようです。

 HRとの面談後は、当時担当していた案件の処理をしつつ、独自プログラムを部内の共有フォルダに移行する作業とマニュアル作成の作業をしていたようです。

 退職日の2日前には、一緒に働いて来た同僚たちとお別れランチへ行き、退職日当日には、独自プログラムの移行で忙しくしているの所に色々な人がお別れの挨拶に来ていたそうです。
 本当はがお世話になった人に挨拶回りをしたかったそうなのですが、件のパワハラ上司に最後まで仕事するように言われていたため、午後5時に会社のシステムからのアカウントが停止されるまで仕事をしていて挨拶どころではなかったそうです。

 挨拶に来た人たちに、「明日から新会社で仕事だ」と、言ったら驚かれたそうです。
 2ウィークス・ノーティスの最終日まで働くケースは稀で、普通は2ウィークス・ノーティスが始まって早い時期に、上司が仕事に来なくてもいいと言ってくれるらしいです。
 夫のアカウントが停止される最後の1秒までこき使う、流石パワハラ上司

 5時過ぎてPCがアクセスできなくなったので、支給されていた社員証とラップトップとスマホを件の上司に渡して、「アカウント停止になったので、これ以上は仕事が出来ません」と、帰宅してきました。

 (*^・x・)ノ~~~バイバイ

 色々あったものの、怒涛の2Weeks Noticeを無事に乗り切り、めでたく予定通りの日に退職することができました。

 と、言う事で、の『3度目の転職』シリーズは今回で終了です。

 

 

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2024年6月27日 (木)

3度目の転職 その4 怒涛の2Weeks Noticeその1

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 今回の記事で『3度目の転職』シリーズを終わりに出来たらと思っています。

 前回の記事で、採用通知を受け取ってから指定の初出勤日まで12日しかなく、2ウィークス・ノーティスを終えられない事が判明

 新しい会社とその時点で働いていた会社(以降『前会社』と書きます)は同系列の業者同士、しかもどちらも日本に親会社のある会社で、この先新しい会社と前会社で取引する機会もあるかもしれないので、波風立てずに穏便に辞めたいとは考えていました。

 2ウィークス・ノーティスを終えられないと判って直ぐに人材会社のXさんにメールで、指定された日には出勤出来ない事と理由を書いたら、Xさんが新しい会社と交渉してくれて14日から初出社に変更になりました

 退職までに2週間とれそうで、一先ず安心。

 (o´д`o)=3ホッ

 初出社がずれたことで雇用契約書も書き換えとなり、30日にメールで書き換えた雇用契約書が送られて来たので、その雇用契約書にサインして、必要事項を記入したその他の書類と共にメールに添付してXさんに送り返しました

 書類をメールで返送した後、ネットで拾った2Weeks Notice letterの例文を参考に、6月13日(木)を最後に辞めることを明記したResignation letter(辞職届)をメールでHR(人事)と件のパワハラ上司に送ったのは日付が変わって5月31日(金)でした

 31日の朝に、HRから「5月31日午前〇時に辞職届を受け付けたので、当社の規定で退職の日は6月14日(金)になります。」と、返事がきました。
 夫が6月14日(金)は辞職届を出してから15日目で2ウィークス・ノーティスの期間は過ぎている筈だとHRに質問したら、「当社の規定では、提出から14日間でなくて、満2週間が引継ぎ期間になっていて、辞職届を提出した週の残りの日数は2ウィークス・ノーティスの数に入らない」と、回答が来たそうです。
 例えば、火曜日に辞職届を提出したら、退職日は辞職届提出の18日後の金曜日になるという仕組みらしいです。
 とにかく、何曜日に辞職届を出しても退職日は翌々週の金曜日になるとの事でした。

 ( ´°д°`)エー?ナンジャソリャ~?

 2ウィークス・ノーティスを完了しないと、有給の払い戻しが受けられなくなるため、たった1日短かっただけで、前年からの持ち越し分も含めて溜まりまくっている有給6000ドル(90万円)分がパアになるのは何としても避けたかったので、2ウィークス・ノーティスの期間を短くできないかHRに訊いたら、「あなたの(直属の)上司が了解しているなら引継ぎ期間を短くできる」との事だったので、意を決して件のパワハラ上司にお伺いを立てることにしました。

 件の上司は元々夫を辞めさせたがっていた事もあってか、例の会社の引継ぎ期間の規定は知らせずに、最終日は木曜日(初出社の日の前日)にしたい事を伝えたら、あっさり了解が得られたので、HRに戻って上司が了解したことを伝えたら、6月13日の木曜日に退職日が決定しました

 ( ̄ー ̄)bグッ!

 第一関門クリア

 退職日が決まって、件の上司が6月13日に夫が辞めることを同僚や関連部署の人に発表すると、発表の場にいた人の動揺が起こったようです
 なぜなら、22年の秋に同僚のTさんが辞めて以来事実上夫の部署は夫一人で回している状態だったからです。

 一人で仕事を回すために、夫は物品の管理を行う独自のシステム(プログラム)を構築して、手作業でやったら1か月くらいかかる作業や確認を一瞬で行えるようにしていました
 そのプログラムは時々小さなバグが出る事もあって、改良を重ねているところでしたが、概ね問題なく使えて大幅な作業時間の短縮が出来ていたようです。
 件の上司にもそのプログラムを見せたのですが、自分の思うとおりに仕事を勧めたい件の上司は夫の作ったプログラムが気に入らず、「お前の作ったプログラムは使わない」と、明言していて、新人が入って来ても頑なにそのプログラムを使わせませんでした

 後釜同僚のRさんも、の作ったプログラムの使い方を知らなかったし、入社して半年のRさん一人ではが一人でこなしていた仕事の量を回す事が出来ないと悟った件の上司は、今度は夫に「辞めるまでにRさんにの構築したプログラムの)使い方を教えろ」だの、「使い方のマニュアルを書いておけ」だの、2週間では到底終える事の出来ない無理難題を押し付けてきました

 の作ったプログラムを散々けなして見向きもしなかったのに、今更使い方を教えろなんて…と言う感じです。
もっと前からそのプログラムを採用してくれていたら、退職間際になってにもRさんにも過度な負担をかける事もなかっただろうに…

 によるとプログラムの使い方はそこまで難しくはないらしいのですが、定期的なアップデートやメンテナンスやバグや例外が出た場合は調整が必要で、プロのSEでも他人の作ったプログラムは解析に時間がかかったりしてメンテや調整が面倒かも…と、言う事でした。
(RさんはSEではないので、使うことは出来てもメンテやアップデートは無理だろうと言う事でした。つまりは、夫が退職して暫くは使えていても、メンテナンス等ができないと、いずれは使えなくなるだろうとの事。)
 そんなプログラムのために時間を割くのは無駄だけれど、件の上司が五月蠅いので、穏便退職のためには言われた通りにするしかない。

 の独自プログラムの使い方を教える&マニュアル作成の他にも、当時夫が担当してほぼ終わりかかっていた案件を完了させるために、下請け業者にと件の上司で出向いて、が2ウィークス・ノーティスに入ったので納期を早められないか?と、交渉に行ったら、その下請け企業に「常にバックアップできるような体制を取っていなかった、そちらのマネージメントの問題でしょ」と、件の上司のマネージメントのまずさを指摘され、「納期を短縮するには3000ドルの追加料金が必要」と、言われたそうです。

 又もや問題発生!
果たして2ウィークス・ノーティスの期間内に、担当していた案件を終えては予定通り退職日に無事に辞めることが出来るのか?

 今回の記事で『3度目の転職』シリーズを終えるつもりだったのですが、長くなったので『怒涛の2Weeks Notice』は次回に続きます…

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2024年6月25日 (火)

3度目の転職 その3 4次面接~採用通知

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 3次面接も終わり、結果を待つのみだと思っていたのですが、人材会社のXさんから連絡があって4次面接の要請があったと連絡が入りました

 Xさんから連絡があった日は夫は日本に一時帰国する当日で、2週間は対面での面接は出来ないと話すと、「では、オンライン面接で…」と、返事が来て、日本に到着したその日の夜にオンライン面接になりました

 の実家についてすぐWi-Fiの設定などを急いでして、(の実家のWi-Fiでは上手く設定できず、実家の隣に住んでいるの従兄弟のWi-Fiを使わせてもらったり、色々設定が大変だったようですが何とか時間に間に合い、)個人のスマホでのオンライン面接になったようです。
 そのオンライン面接は社長さんとの面接で最終面接でした。

 4次面接を日程を延期せずに日本とオンラインで面接するくらいだし、面接時の会話から、先方はよっぽど採用を急いでいるのかと思ったは、「円満退社したいので、採用通知を頂いても2ウィークス・ノーティスの期間は退職出来ないため、初出社は採用通知から最短でも2週間はかかります。」と、言う旨を伝えたそうです。

 ところが、4次面接が終わって1週間経っても連絡が無い

 4次面接から2週間後、日本への一時帰国も終わってアメリカに戻った頃に、人材会社のXさんから宛てにテキスト(ショートメール)が来て、返事はゴールデンウイーク明けまで待って欲しいと先方から連絡があったとの事でした。
 Xさんに連絡を取って話を聞いたところ、どうやら先方は新しい取引先との仮契約が決まって、その取引の担当をさせる人材を探して求人広告を出していたようで、その取引先からの本契約の返事が来なかったので、に採用通知を出せないでいたらしいです。

 件のパワハラ上司の嫌がらせも相変わらずだし、採用までに時間もかかるようなら、万が一のために別の人材会社で仕事を探し始めた方がいいかも知れないと、またネットでの就職活動を再開することにしました。

 5月に入り、ゴールデンウイークが終わっても連絡なし、パワハラを躱しながら別の人材会社と連絡を取っていた5月もほぼ終わりの29日に、人材会社のXさんから、「先方から採用通知が出たので、通知と雇用契約書をメールで送ったので、目を通してサインをしてメールで返信してください。」と、連絡がありました。

 やったぁ!

 y(^ー^)y

 遂に採用通知ゲット~!

 (*^-°)vィェィ♪

 それにしても長かった~と、喜んだのも束の間、雇用契約書を見ると6月9日の週から(6月10日から)出勤と書いてある

 翌日の5月30日に2ウィークス・ノーティスを出したとしても、6月10日まで12日しかない

 さて、どうする?

 続きは次回の記事へ…

  

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2024年6月21日 (金)

3度目の転職 その2 パワハラ砲弾を躱しながらの転職活動

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 2つ前の記事からの続きです。

 件の上司のステルスパワハラは今回もとどまる事を知りません。

  ブログは備忘録も兼ねていいるので、パワハラについても書いていますが、世界は広いけれどパワハラの内容って大して変わらないです。
 日米で大きく違うのは、中盤の人事に相談の部分と最後の追記『求人に応募するも書類選考で落とされて面接に至らなかった理由』部分だけなので、面倒な方はその部分だけ(青の文字で書かれている文章を含むパラグラフだけ)読んで頂けるといいと思います。

 解雇される前に転職してしまおう、と、言う事で転職活動を始めることになった

 幸い、以前の転職活動の時に登録しておいたSNS(LinkedIn)を通して、コンスタントに転職のお誘いが人材会社や企業から入って来ていたので、いくつかの人材会社にコンタクトを取って企業を紹介してもらう事にしました。

 職探しを始めた頃に、我が家で20年間飼っていたマダラ猫が体調を崩して介護が始まっていました
 の勤めていた職場は週に2回在宅勤務で、在宅勤務の日はも休憩時間などにマダラ猫の世話をしていました。

 ある在宅勤務の日の午後に会社全体のボウリング親睦会があって、殆どの従業員はその親睦会に出かけたのですが、は仕事が終わっていなかった事、会場が車で往復1時間と遠い事、マダラ猫の体調も気になったのでその日の親睦会は不参加で家で仕事をしていました。
 就業時間終了の間際になってパワハラ上司から電話があり、取引先に提出する書類の事で話があるから、ボウリング会場まで来い、と、言われたそうです。
 就業時間終了間際だし、会場も遠いので断ったのですが、「来ないとどうなるかわかっているんだろうな?」と、脅されて渋々出かけて行きました
 ボウリング場から帰って来たに聞いたら、そこに行って話せたのはたった5分だけで、仕事の助けになるアドバイスではなかったとの事で、ただ嫌がらせのために往復1時間の距離を呼び出したようでした。

 その他にも、出社する日は個別ミーティングと称して1対1で会議室で30分罵倒することが定例になっていました。
言い訳や反論すると更に時間が延びて仕事ができなくなるので、「わかりました」と、返答するのですが、次の出社日の個別ミーティングで、「『わかった』と言ったのに改善していない!」「払っている給料の割には無能だ!」と、更に罵倒が繰り返される日々でした。
 この上司の巧妙なところは、人前では絶対罵倒せずモラハラの証人が残らないので、もほとほと困っていました。
(スマホやレコーダーなどで本人の許可なしに会話などを録音するのは違法なので、モラハラの証拠には使えない。)

 あまりにも嫌がらせが酷いので、仕事で関わりの強い日本の本社の連携部の部長さん(日本人)に相談したのですが、系列とは言え全くの別会社なので日本側から注意することが出来ないとの事で、「アメリカの会社の人事に相談してみては?」と、勧められましたが、アメリカ人の友人が、「HR(人事)なんかに相談したら、仕事を続けられないメンタル状態だと判断されて解雇になる可能性もあるからやめておけ」と、止められたそうです。

 モラハラから逃げられない状態+マダラ猫の介護の八方ふさがりでの転職活動でしたが、いくつかの人材会社と面接を受けて、求人している企業にレジメを提出して応募を繰り返していました。

 そうこうしているうちに、即日退職した日系人同僚の後釜のRさんが入社してきました。
 後釜同僚Rさんが入って直後は、件のパワハラ上司も後釜同僚Rさんの面倒をみるので忙しく、へのモラハラは少し勢いが弱くなっていたものの、夫の全てのメールの共有を強要し、他部署や後釜同僚Rさんとコミュニケーションを取らないように、監視は続けられていました。
 出社日恒例の個別ミーティング(人格否定&罵倒)も続いていましたが、すでに転職することを決めていたので、気分的には楽になったようでした。

 後釜同僚Rさんの入社後1月もするとクリスマス休暇が始まり、求人もスローペースになり就職活動も足踏み状態になりました。
 年が明けて2月に入ったころ、のそれまでの職歴と求人の内容がマッチするので、人材会社の担当Xさんがとある日系企業の関連企業にコンタクトをとってレジメを送ったところ、その企業から面接の申し込みがあり、Xさんにセッティングをしてもらいやっと面接に漕ぎつけました
(それまで、応募するも書類選考で落とされてしまい、なかなか面接に至らなかったのには理由があるのですが、話が長くなるので続きを読むに後述します。)

 コロナのお陰でリモートでのやり取りが日常的になっていたため、1次面接と2次面接はその企業に直に行く事なしに、リモートワークの日の昼休みにネットで面接することが出来たので、パワハラ上司に知られずに面接を受けられたのは良かったです。
 就職活動や面接に使うPCも、会社のPCは監視されているので、怪獣(息子)のPCを借りて面接したし、人材会社とのやり取りもプライベートのスマホを使っていました。

 問題だったのは4月1日に行われた3次面接でした。
 3次面接は求人を募集している企業で対面の面接だったのですが、平日だったので有休を件のパワハラ上司に申請しなくてはならず、有給の申請の時には理由を訊かれる事が必至でした。
 と、いうのもは4月の中旬から2週間、の母の様子をみるために日本に一時帰国予定で既に10日間の有休を申請して認可されていて、長期有給を取る前にある程度仕事の目途をつけているところだったからです。
 正直に就職活動の面接とは言えないし、長期休暇の直前に更に有休をとるのも不自然だし…

 なので、今回も奥さん(私)に体調を悪くしてもらって、それを理由に有給の申請をしました
 12月の頭にマダラ猫が亡くなったので、少し落ち込んではいたものの寝込んだり病院に行く必要がある程ではなかったけれど、会社の人には20年間飼っていた飼い猫が亡くなったと話してあったので、私の体調不良の言い訳をすんなり納得してもらえたようです。
 例のパワハラ上司ではないけれど、仕事仲間には「奥さんについていてあげなくても大丈夫なのか?」と、心配されたそうです。

 それなのに、件のパワハラ上司は「仕事が忙しいから、用事が終わったら出社しろ!」と、午前中の休みしか許可してもらえませんでした。
 面接を受ける会社と働いている会社が車で片道40分くらい離れていたので、朝面接に行って面接が終わって、車の中で服を着替えて午後から出社して仕事と、昼食を食べる時間もないくらい忙しい1日になってしまったようです。

 上司のパワハラを躱しながら3時面接も乗り切り、あとは面接の結果を待つのみだと思っていたのですが…
長くなったので、次回へ続く…

 

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2024年6月19日 (水)

Juneteenth(ジューンティーンス独立記念日) 

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   の3度目の転職の続きを公開予定だったのですが、6月19日が新しいアメリカ連邦の祝日と知ったので割り込みの記事を書くことにしました。

 6月19日はジューンティーンスで、祝日でした。
ジューンティーンスは黒人奴隷の解放をお祝いする日で、第2の独立記念日と言われています。

 南部のテキサス州では1970年代から祭日にする運動がおこり、80年にテキサス州の休日として制定。

 その後色々な州で認定が進み、2021年に上院と下院でジューンティーンスを連邦の祝日にする法案が可決され、2021年6月17日にバイデン大統領が法案に署名した事によってアメリカ連邦の祝日になりました。

 雇用主は6月19日当日か、19日が土曜日か日曜日に当たった場合は直近の金曜日か月曜日に労働者を休ませなければならない事になりました。

 2021年に新しく祝日になった事と、私たちの住んでいる州はカナダに近い北部で祝典などがあまり行われない事、2020年からのリモートワークのため、今年になるまでジューンティーンス(6月19日)が休日だと言う事を知りませんでした。

 夫が新しい職場に転職して、この職場はリモートワークのない職場だったため、ジューンティーンスが祝日でお休みと言う事を知りました。

 ↑の画像はジューンティーンスのお祝いに飲まれるストロベリーソーダです。
 ストロベリーソーダはストロベリーシロップと炭酸水で作るのですが、ストロベリーシロップがなかったので、自家製のストロベリーソースを使いました。

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2024年6月17日 (月)

At-will employmentなど、 アメリカの雇用の実情

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 前回の記事の続きを書く前に、アメリカの雇用の仕組みを少し説明しておいた方がこれからの記事の内容を理解しやすくなると思ったので、割り込みの記事を書くことにしました。

(↑映画『ブルース・オールマイティ』の即日解雇のシーン)

At-will employment

 "At-will employment"は、日本語では『随意雇用』と訳されていて、契約書に雇用期間の定めがない場合、雇用主も被雇用者もどちら側からもいつでも、理由の有無に関わらず予告なしに雇用契約を自由に解約できる雇用の仕組みで、アメリカの殆どの州でこの仕組みが採用されています。

 雇う側も雇われる側も予告やペナルティなしで随時契約破棄ができるので、一見、両者に平等な仕組みの様に思えますが、実情は被雇用者側に圧倒的に不利な仕組みです。

 不法行為や職務規定違反などの正当な理由なしに即日解雇や辞職が可能なので、解雇された被雇用者はいきなり路頭に迷う事になります。
 国民皆保険制度のないアメリカでは、失業すると企業と掛け金折半で加入していた医療保険も解約になってしまい公的?な医療保険(オバマケアなど)に加入したくても掛け金は前年度の収入で算出されるため、失業して無収入の状態では高額すぎて加入できないケースが殆どです。

 即日解雇が可能と言っても訴訟社会のアメリカなので、あまりにも理不尽な場合は雇用主が訴えられるケースもあり、雇用主もスキル改善プログラム(事実上の解雇予告)などを受けさせたり、解雇後も医療保険が使えるように手続きしたり一時金を支払うなどのパッケージを提示したり訴訟回避策を打っています。

 雇用主にとって最もお金のかからない方法は、パワハラや嫌がらせをして被雇用者から「退職する」と、言わせるやり方で、もしパワハラで訴えられても弁護士を雇って解決するやり方です。
 企業VS一個人では弁護にかけられる費用は大きな差があるため、性的暴行と身体的暴行以外の事例で企業側が負ける事はないそうで、多くの解雇者が泣き寝入り状態だそうです。

2 weeks notice

 At-will employmentでは、雇用主が即日解雇も可能なように、法的には被雇用者も退職届け当日や提出の翌日には退職が可能です。

 退職は可能なものの、退職に関しての手続きや仕事の引継ぎなどを全く行わずに辞めると、信用や評判を落として将来の職探しや取引などに影響が出る可能性があるので(いつ即日解雇になって職探しをしなければならない状況になるかもしれない中で評判が低いと求職活動に不利になる)、慣例として2週間前に退職の意志を通知するのが一般的になっています。

 大体が直属の上司と人事に退職希望日をメール(以前は紙だったけれど、今は全てデジタル化されている)で、通知します。
 2 weeks noticeの文例は"2 weeks notice letter sample"などのキーワードでネット検索すると、サンプルの文面がヒットするので、サンプルの文章をコピペして、宛先と送り主の連絡先を書き換えて送ればOKです。

 この記事では、At-will employmentと2 weeks noticeについて軽く説明しました。

 次回の記事は、また3度目の転職の経過について書きたいと思います。

 

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2024年6月14日 (金)

3度目の転職 その1 転職決意の動機

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 はアメリカで働き始めてから今まで2度転職しています。
 1度目の転職については過去記事『青天の霹靂ーアメリカで失業ー』、『レジメの準備』、『レジメの書き方と職探しのアドバイス』、『レイオフに至った状況』、『ネットで転職活動』、『転職ワークショップ』、『面接~2ウィークス・ノーティス』、『退職後~使用期間~本採用』に書いてあるので興味のある方は参考にされてください。
 2度目の転職に関しては今のところ記事は書いていないのですが、機会があったら記事にする予定です。

 5月の末にの3度目の転職先が決まったので、記憶が新しいうちに経緯を記事にする事にしました。

 が今回の転職を考え始めたのは去年(2023年)の秋(10月末くらいだったと記憶)でした。

 理由は直属の上司のパワハラが激化したためです。

 の部署は入社当時は別の部門に属していたのですが、組織の編成が変わって2017年くらいに件の上司の組織に属するようになったそうです。
 この直属の上司は、他にもう1つ部署を抱えていて、の部署はその上司の分野とは畑違いなうえに、2人しか人がおらず部の規模が小さかったため、その上司にとってはお荷物のような扱いだったようです。
 お荷物なら放って置いてくれればよいのですが、その上司は過干渉で自分のやり方で事が運ばないと、部下にダメ出しして自分のやり方に従うように強制するタイプの人でした。
 毎週のようにその週に行った仕事の内容の詳細な報告メールを義務付けて、取引先との全てのメールをCcで共有するように指示し、自分のやり方と違っていたら、部下を呼びつけて説教し、自分の指示通りにしろと修正を強要してくる、部下に仕事を委任することの出来ないパワハラ気味の上司でした。

 2022年の秋に、と同じ部署で働いていた同僚のTさんが(表向きは?)家族の都合で仕事を辞め、その後新しく2023年の3月に採用された日系人女性の同僚が試用期間が終わって間もなくの7月末に辞めていきました。

 日系人同僚が辞めた時は一悶着あったらしく、件の上司が休暇を取っている間に、HR(人事課)へ辞職を告げに行ったそうです。
 アメリカでは被雇用者が辞職する時は手続きや引継ぎのため、辞める日の2週間前に直属の上司に文書で知らせる(2ウィークス・ノーティス)が一般的な辞職のプロセスなのですが、彼女は2ウィークス・ノーティスまる無視でHRに話を持って行ったようです。

 の勤めている会社の規定では、2ウィークス・ノーティスの期間は引継ぎのため出社が義務で、残った有給は清算して退職時に支払われる事になっているのですが、彼女は「最悪な職場環境だ!有給のお金なんていらん!今すぐ辞める!」と、言い捨てて職場を去ってしまったのだとか。

 件の上司は休暇を切り上げて説得のために戻ってきたのですが、彼女は聞き入れずに辞めていったそうです。

 その日系人同僚が辞めて以降、直属の上司の監視がさらに厳しくなり、取引先のみならず社内宛てのメールも全て共有するよう強制され、親睦会などで他部署の人と雑談していたら、何を話していたのかしつっこく詮索して来るようになったそうです。

 その上に辞めた日系人の同僚の分まで仕事を押し付けられ、引継ぎなしで仕事を振られたため、状況を把握するのに時間がかかり、直属の上司のスケジュール通り押し付けられた仕事が進まなかった事を執拗に叱責されたりしていました。

 パワハラが酷くなったのは、辞めた日系人同僚の後釜が2023年の10月に見つかった頃からでした。
 取引先に提出する書類の英語がおかしいからやり直せなど、ダメだしが激しくなり、何度も書き直しを要求して言われた通り直すまで書類にサインをするのを拒んだため、提出の期限が過ぎることが度々ありました。
 ダメ出しのせいで期限に間に合わなかったのに、「が無能だから仕事のパフォーマンスが落ちている」と叱責、本来の仕事の上に件の上司が勝手に考えた改善プログラムなるものを押し付けられ、それに対する返事を後釜が入社してくる11月末までにレポートに纏めて提出するように要求して来ていました。
 その改善プログラムの内容も要するに、「なんでお前は自分の思った通りに動かないんだ」と、言うもので、超能力者で件の上司の考えが分かる状態でなければ返答不能のものでした。

 改善プログラムを押し付けられた時に、が私に相談して来たのですが、私はその改善プログラムを見た時に「これはどこかで見た事ある」デジャヴを感じました。
 アメリカで最初の転職をした時の上司の嫌がらせと全くと言っていいほど同じだったため、「これは何をやっても駄目だ、この上司はを首にしたがっている。しかも、の無能さを理由にするための証拠集め(でっち上げ)をしている」と、すぐに気がつきました。

 件の上司のパワハラ以外は待遇も人間関係もかなり良い職場だったため、は転職を渋っていたのですが、私が「何をやっても無駄だ」と、一回目の転職の時の例を挙げて類似点を説明。
 が職場以外の友人などにも相談したら、解雇の準備をしている(その後解雇になる)可能性が高いと言う見解だったので、解雇を切り出される前に転職先を探すことに納得しましたようです。

 転職の決意だけで随分長くなってしまいました。
 転職経緯の続きは次回以降にUPしたいと思います。

 
 

 

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2024年6月11日 (火)

ハミングバード・ケーキ

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 ハミングバードケーキは、バナナとパイナップルで作るフルーツケーキで、アメリカ南部のデザートです。

 バナナを買ったのは良かったのですが、買い物袋に入れっぱなして食べるのを忘れていて、茶色いスポットのあるバナナが沢山余っていたのでバナナを使ったハミングバードケーキを作る事にしました。

 ケーキにはマッシュしたバナナと刻んだパイン(缶詰)と刻んだピカーンが使われていて、ケーキに塗ってあるクリームはクリームチーズと粉砂糖で作ったフロスティングです。

 フロスティングがかなり甘いので、ケーキの砂糖の分量を1/4控えて作りました。
(それでも、「甘すぎ」とに言われましたが…)

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 アメリカのレシピで作ったら、かなり大きなケーキが出来上がってしまい(12人分と書かれていたけれど、16等分くらいが一人分として適当なのではないかと思いました)、家族3人で一度に食べきるには多いので、友人のCさんに3切れおすそ分けしましたが、残りを食べきるのに5日かかってしまいました。

 

 

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2024年6月 8日 (土)

Meadow Brook Hall 6

前回の記事からの続きです。

今回でMeadow Brook Hallの記事は最後になると思います。

使用人エリア:

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(↑使用人エリアの廊下)

 ウィルソン家族が住んでいた当時と違って、使用人エリアとの間の全てのドアは開けっ放しになっていたのですが、今回のツアーでは使用人エリアは移動のために階段を使ったり、一部の部屋を見学しただけでした。

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(↑医療品の部屋:薬やガーゼや包帯、体重計や医療の道具などを保存しておく部屋。
救急箱の物置部屋バージョン。)

 Meadow Brook Hallでウィルソン家族が暮らしていた当時は田舎で、年に何回か医師が訪れて家族の健康診断を受けていたそうです。
 また、病気などになった時も医師に往診してもらっていて、健康診断や往診に必要な医薬品や器具を医師が持ってこれなかった場合に備えてストックしておく物置のような部屋がありました。

 診療に訪れた医師も遠距離を移動してくるので、診察が終わった後滞在出来るように使用人エリアにいくつかゲストルームがあるそうです。

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(↑↓使用人エリアのゲストルーム)

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 ↑の画像の使用人エリアのゲストルームは養子のリチャードが大きくなってナーサリー(育児室)が必要なくなった時に、リチャードの寝室として使われていたそうです。

 ロフトや自分専用のゲストルームのあるマチルダの実子たちのプライベートスペースと比べて、養子の部屋はシンプルで格差だなぁ…と、思いました。

ツアーについて:

 前回2015年にツアーに参加した時とツアーの内容やツアーの種類、料金などが随分変わっていました。
 以前はミュージアム・ストアでツアーチケットを販売していましたが、今はオンラインでの予約&支払いになっています。

 詳しい情報は↓のURL(英語)を参考にしてください。

https://meadowbrookhall.org/tours/ 

 

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2024年6月 5日 (水)

Meadow Brook Hall 5

前回の記事からの続きです。

2階

 階段を上がって左手の廊下にはゲストルームやナニーの部屋と子ども部屋、マチルダの寝室、アルフレッドの寝室などがあります。

フレンチ・ゲストルーム:

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(↑↓フレンチ・ゲストルーム)

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 階段ホールから左手の廊下の入ってすぐ右側(裏庭側)に、フレンチゲストルームがあります。
以前の記事にチューダー・リバイバル様式の建物と紹介したのですが、フレンチルームはロココ風の内装になっていました。

ナニー(乳母)の部屋とナーサリー(子ども部屋):

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(↑左:ナニーの部屋、右:ナニーの部屋の呼び出し用の電話)

 フレンチゲストルームの向かい(ロータリー側)にはナニーの部屋とナーサリーがあります。

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(↑ナーサリー)

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(↑ナーサリー・キッチン)

 マチルダと再婚相手のアルフレッドには実子はいなかったのですが、リチャード(1929年生まれ)とバーバラ(1931年生まれ)の2人の養子をとっていて、ナーサリーは2人の養子のための部屋です。

 Meadow Brook Hallの建物は使用人スペースと家族のスペースが完全に分けられていて、使用人は使用人スペースで寝起きするのですが、ナニーだけは子どもの世話をするため、部屋が家族のスペースにあてがわれていました。

 ナニーの部屋は、バーバラにナニーが必要でなくなった後は、バーバラの部屋として使われました。

イタリアン・ゲストルーム:

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 ナーサリーキッチンの隣はイタリアンゲストルーム。
イタリアン・ゲストルームは天井に梁(多分化粧梁)を設けたイタリアっぽい内装になっていました。

アルフレッドの寝室:

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 フレンチ・ゲストルームの隣がアルフレッドの寝室で、

 寝室は隣のマチルダの寝室と繋がっていて行き来ができるようになっています。
 当時の裕福な家庭は夫婦がそれぞれ持つことが一般的だったため、夫婦別室になっているようです。
 アルフレッドの寝室のバスルームはシャワーがあって、シャワーヘッドは14金で出来ているそうです。

マチルダの寝室:

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(↑マチルダの寝室)

 アールデコ調のインテリア。

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(↑マチルダのバスルーム)

 マチルダのバスルームにはシャワーはなくてお風呂のみだそうです。

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(↑左:マチルダのクローゼット、右:マチルダの靴や小物を収納しておくクローゼット)

 プライベートエリアの内装の殆どが建築当時の流行りだったアールデコ調でした。

 マチルダは毎朝6時起床で乗馬をしてから身支度を終えて仕事をしたそうです。
 マチルダの仕事はダッジモータース売却後は市民活動や社会活動や慈善活動で40以上の団体をサポートしていました。
 家事は全て使用人が担っていて、家の中の家事を行うために25人くらいの使用人が働いていたそうです。
 屋外の家事は35人くらいの使用人が従事していました。

 使用人のエリアと家族のエリアの間にはドアがあって、普段は閉まっていて仕事以外では使用人は家族のエリアには入れない決まりになっていました。

 次回は使用人エリアの画像をUP予定です。

 

 

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2024年6月 2日 (日)

Meadow Brook Hall 4

前回の記事からの続きです。

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(↑1階のエントランスホールから2階へ上がるメインの階段)

2階

 2階部分はプライベート空間で、寝室やゲストルームなどがあります。

ダニエルのプライベートスペース:

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(↑ダニエルの寝室)

 ダニエル(弟)はマチルダの前夫(ジョン・F・ダッジ)との2番目の子どもです。
 ダニエルのプライベートスペースは階段を上がりきって階段ホールの右の2つの廊下のうち右側の廊下に沿ったいくつかの部屋で出来ています。

 廊下の奥からダニエルの寝室、バスルーム、クローゼット、一番手前がゲストルームになっています。

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(↑ダニエルのバスルーム)

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(↑左:フランシスの廊下からロフトへ上がる階段
中:鹿の頭部の上のダニエルの寝室がロフトから見渡せる窓
右:ダニエルのクローゼットとロフトへつながる梯子)

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(↑ダニエルのゲストルーム)

 ゲストルームにはソファーとテーブル、バスルームもついていてホテルの部屋のような感じです。
 子どもの友達のためにゲストルームがあるなんて、どんだけお金持ちなの~って感じです。

 ダニエルのプライベートスペースの部屋の窓は玄関前のロータリー側を向いています。

フランシスのプライベートスペース:

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(↑フランシスの寝室)

 フランシス(姉)はマチルダの前夫との最初の子どもでダニエルの姉になります。
 フランシスのプライベートスペースは階段を上がって右側の2つの廊下のうち左側の廊下に沿ったいくつかの部屋で構成されています。

 ダニエルのプライベートスペースと同様に、奥から寝室→クローゼットとバスルーム→ゲストルームの順に並んでいます。
 唯一違うのはロフトに上がるのは梯子ではなくて階段だった点です。

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(↑左:フランシスのバスルーム、右:フランシスのクローゼット)

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(↑フランシスのゲストルーム)

 フランシスのプライベートスペースの部屋の窓は裏庭側を向いています。

 マチルダとジョン(前夫)との間には3人の子どもがいたのですが、末っ子のアナ・マーガレットはMeadow Brook Hallに住む前に4歳で麻疹でなくなっています。

 階段を上がって左手の廊下にはゲストルームやナニーの部屋と子ども部屋、マチルダの寝室、アルフレッドの寝室などがるのですが長くなったので次回の記事で書くことにします。

 

 

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